歴代の発表者紹介

鈴木 稔(岩手県)

最優秀賞/第53回農林水産祭 日本農林漁業振興会会長賞受賞 作品タイトル 徹底した管理による循環型酪農の追求

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滝沢市は盛岡市の隣で岩手山のふもとにあり、「チャグチャグ馬っ子」という祭りが有名。私たちは花平という地区で酪農をしている。岩手県畜産農協傘下の花平酪農協は、金融・共済事業がなく組合長と理事が自ら指示を行い、生産者自らが考え運営している。

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昭和28年に祖父が開拓で入植し1頭の乳牛から始まった。私は平成9年に就農。当時は野菜作りもしていたが、酪農中心で経営できるよう平成19年に70頭規模に牛舎を増築した。就農当初は親父を超えようと、乳量のために濃厚飼料を与え、牛に良かれと添加剤を買い漁ったが、自給粗飼料を軽視し経営を悪化させていた。親父ができない繁殖管理をもっとレベルアップして見返してやろうと考えたが、ろくに卵巣も見ず人工授精していた。その頃直腸検査を学び、繁殖検診も始めた。授精時期のコントロールによる雄雌の産み分けにも取り組んだ。牛群管理プログラムを使って牛舎でパソコン繁殖管理も始めた。雌種がうまく受胎しているので、後継牛を確保しながら和牛受精卵を増やすことができるようになった。今後は和牛の受精卵を30頭妊娠させることが目標。

平成19年、カウコンフォートを意識した牛舎を増築。トンネル換気、壁の断熱、自動給餌機も設置し、乳量9000キロ以上を維持している。乳房炎対策は石灰、炭カルで牛床の乾燥に努めている。乾乳牛は、乾乳前期はフリーバーン、後期は繋ぎ牛舎で管理。監視カメラをつけたことで分娩事故がなくなった。育成牛は6か月齢以降は預託。発育のばらつきもなくなり、牧場での雌種の受胎も良いことからET和牛の販売、個体乳量、搾乳頭数の増加が可能となり、収益アップが見込めている。

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牧草地は12町歩あり、収穫作業は10戸のトラクター組合で行う。施肥管理は完熟堆肥を年3回投入することで化学肥料の削減が可能となり、また石灰を毎年投入することで食い込みの良い草ができるようになった。デントコーン畑は10町歩あり、タワーサイロ・バンカーサイロにてサイレージを作っている。3年前から岩手県農業公社のコントラクターで自走ハーベスターを利用。コーンクラッシャーで牛の調子が安定するようになった。

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親父が築いてきた、こだわりの堆肥づくり。親父が始めたきっかけは、牛の調子が悪く、私と同じように添加剤を多く給与していた時期があったからとのこと。添加剤に頼らない良質な草づくりのために堆肥づくりを、と考えたようだ。当初は堆肥を月1回切り返し、1年間野積みして利用していた。平成10年に堆肥を直売所で売ったところ好評で、袋詰め機を導入して堆肥販売が軌道に乗った。しかし、家畜排せつ物法で野積みができなくなる。良質堆肥を作るための試行錯誤を繰り返し、平成15年に堆肥舎が完成した。堆肥づくりは、初めにロータリー攪拌機に投入し、乳牛の糞と肥育牛の堆肥を混ぜる。発酵が始まった堆肥は約1週間で、親父が考案したエアレーションを設置した堆肥舎に移動する。24時間以内に堆肥の温度は80℃に上がる。エアレーションにより発酵が格段と早くなる。堆肥の切り返しは週に1度。5〜6回切り返し、30〜40日で発酵は完了する。自分の畑にはこの段階で投入する。発酵温度を80℃以上に上げることで雑草の種が死に、雑草で困ることはない。販売用の堆肥は13〜15回切り返し、90〜100日発酵させ、さらに1年間熟成させることでより土になじみ、使いやすいものになる。それが販売用堆肥「昔のこやし」。平成17年、値上げで3割以上販売量が減ったが、翌年にはお客さんが戻ってきた。良いものを作ることで認められたと実感している。無人販売所は現在2か所。お客さんに名前や要望を書いてもらいニーズに応えてきた結果、臭いがない、雑草が出ない、使いやすい重さの堆肥となった。2年前頃から納得した堆肥になったが、親父はまだ満足していない。堆肥では、まだまだ親父を超えることは難しい。

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自分で種雄牛を選び、種付けして育てた牛が共進会でトップになれたらどれだけ嬉しいかと思い、牛群改良を始めた。今は乳量が多く、乳器が良く、共進会で評価される牛を選抜している。自家産のエクセレントが10頭出て、3大エクセレントのファミリーもいる。昨年は全国ブラック&ホワイトショーに出品し、6歳以上の成年クラスで2位ベストアダーをいただいた。

酪農家にとって仲間との交流はとても大切だ。同志会活動では牛舎施設改善、水道配管、牛床延長工事など、自分たちで行っている。県内優良牛の受精卵流通事業を仲間で全農いわてに提案し事業化できた。牛乳消費拡大事業や、出前教室や地元小学生の農業体験などを通して命の大切さ・自然の大切さを伝えている。学生研修受け入れ、新規就農者実習など後継者育成にも協力している。2名の障碍者を長年雇用しており、今では家族同然の付き合いだ。

開拓してくれた祖父と祖母は牛舎仕事をしていないが、ひ孫たちの面倒をよく見てくれる。母には苦労を掛けたのでこれからは楽をしてもらいたい。妻は役場職員として共稼ぎだが、親父に怒られた私を引き続き慰めてほしい。親父の完璧主義も、理想を目指して努力することの大切さが分かってきた。失敗してもどう乗り越えるかが問題で、プラス志向に考え誰にでも聞くようにしている。だが最終判断は自分、人のせいにはしない。「しょうがない」ではなく「なぜ」と考え、常に牛の気持ちになって考える。多くの仲間との絆を大切にしてこれからも酪農を続けていきたい。

将来の夢は、岩手山が一望できる場所で趣味の料理を活かしたレストランを開きたい。エクセレント牛の牛乳を使った乳製品、堆肥で作った小麦や野菜でピザ、堆肥を使った有機栽培コーヒーを提供したい。そのために、息子たちに引き継げるよう、そして親父に文句を言わせないような経営を目指してこれからも頑張っていきたい。

※発表内容から抜粋しています。