歴代の発表者紹介

大森 敏雄(青森県)

優秀賞・特別賞 地域の中心として〜60代からの再チャレンジ〜

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「やませ」という太平洋からの冷たい風が吹く青森県の六ヶ所村は、畜産業、特に寒さに比較的強いというホルスタイン種の酪農が盛んに行われており、乳量は県内の40%のシェアを誇っている。

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牛がたくさん集まるところ=ステーションという意味を込めた私の牧場、大森カウステーション。つなぎ牛舎はパイプライン搾乳で80頭。平成21年に建てたフリーストール牛舎はロボット2機で120頭搾乳しており、TMR給餌を1日に2回行う。より多く食い込ませるために2時間に1回餌を寄せるロボットを導入。TMRは、堆肥処理と安定した餌の供給など、循環型農業を目指して近隣農家15軒で立ち上げたデイリーサポート吹越から圧縮真空パックが毎日届く。色々な交流のために牛舎の2階にゲストルームを作り、各種打合せの他、農家との交流会に近県からも参加してもらったり、村長ほか行政との懇談会なども行ったりしている。

私が24歳で就農した頃、大森牧場は地域で後ろの方だった。当時40頭牛舎が主流だったが、経営方針で親と対立し「好きなようにやってみろ」と28歳で経営を譲り受ける。周りは20頭の搾乳牛に乾乳牛、未経産牛、育成牛が合計20頭。それなら私はその40頭を全部搾ってみたいと2倍搾った。気付けば青森県で一番になっていた。家畜排せつ物法が施行された平成11年の堆肥舎を作る計画で、国と県から合計70%の補助事業で建てることになったが、他の農家は半分補助か全額負担。村にお願いをした結果、30%の助成をつけることになったが、70%に30%上乗せしたらタダで堆肥舎ができることになるので私は断った。私だけ負担がなく、他の農家は大変な負担をする。「25%にしてくれ」。残り5%に私は持っていきたかった。「前例がない」という返事に私が食い下がった結果、六ヶ所村の農家は自己負担残り5%で堆肥舎を建設できた。やらなきゃ何も始まらない。これが私の持論である。

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行政の支援に我々も応えねばならない。感謝して、結果も出ると、行政はまた支援してくれる。ゴールデンセールでいい牛を買うという私の提案も、色々なデータを作り何度も足を運んだ結果、村は補助をつけてくれた。その頃第一花国ブームで、乳肉複合経営をやりたいという人が村内にも多くいた。その基礎牛を導入する目的で、乳牛、和牛合わせて1000万円の補助を3年間継続してもらった。青森県にはエクセレント牛が1頭もいなかったが6頭がその評価を得た。県全体も活気づき、和牛飼育農家が11軒から24軒まで増え、全国トップクラスの市場となって青森県の畜産がますます発展してきている。

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「いかに人のためにやるか」と日々思っている。その結果色々な人が集まってくる。私は共進会が得意ではないが、周りが全部やってくれたお蔭で常連になっていた。全日本ブラック&ホワイトショーから東日本デイリーショーまで、自分の出ない共進会まで応援している。私は努力すれば何でもできるとは思わない。プラス「人と人との交流」がより大事だ。今では大森カウステーションには牛だけではなく、人も集まっている。人が集まると情報が集まる。情報の中には知識が、知恵が、アイデアがある。そしてそれを夢で語る。その夢を語る仲間に私は支えられ、そんないい仲間を持っていることを私は誇りに思う。

青森県内でも規模拡大希望の農家が増え、400頭、800頭と夢を語り、徐々に実現するような感じが出てきている。それに刺激され私も、60代を過ぎてももう一度頑張ってみようと、常に挑戦、進化し続けていきたいと思っている。「千里の道も一歩から」「百里の道は九十九里を半ば」の論でいくならば、私の酪農人生の本番はこれからである。

※発表内容から抜粋しています。