歴代の発表者紹介

柴田 瑞穂(秋田県)

最優秀賞 作品タイトル 徹底した管理による循環型酪農の追求

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由利本荘市西目町は秋田県の南西部に位置し、鳥海山と出羽丘陵に接する山間地帯、子吉川流域地帯、日本海に面した海岸平野地帯の3地帯から構成され、県内では比較的温暖な地域だが、海岸部と山間部では気候条件が異なり、特に冬季においては積雪量に差が見られる。
「米どころ」でJAの主力販売はお米。畜産では、黒毛和牛子牛の生産が盛ん。市内に秋田総合家畜市場があり、県内で初めて地域団体商標登録の認定登録を受けた秋田由利牛の生産も。地域の酪農家戸数は、由利本荘市で13戸、にかほ市で3戸。去年の生乳生産量は2502トン、販売額は約2億5千万円となっている。柴田牧場は603トン生産し、由利地域生産量の約24%のシェアだ。
柴田牧場は、昭和40年に祖父を含め6名の農事組合法人「新林牧場」として、乳牛60頭で開業。父は昭和47年に就農。当時、農事組合法人を分散し、経産牛8頭から両親の酪農人生はスタートした。昭和56年には40頭規模の牛舎を建築。少しずつ増頭しながら繁殖、改良と個体管理に力を注ぎ、牛群検定への参加はもちろん、平成11年の家畜個体識別モデル事業のもと、全国に先駆けて耳標装着を行った。私が就農した平成17年、7回連続全共出品を表彰された。
柴田牧場は西目町の孫七山に位置し、自宅は車で10分弱離れた集落にある。小学生の頃から姉と兄と共に手伝い、作業を通して牛との関わり方を身に付けていったように思う。兄が継がなかったため、牛舎から牛がいなくなる、空の牛舎を思い浮かべた時、初めて「後継者」という言葉を考えるようになった。祖父母から両親へと引き継がれた牧場がなくなってはいけないと思い就農。結婚後は、私が牧場の仕事をし、夫は会社へ。夫は週末、牛舎を手伝ってくたが、平成17年に「会社の為ではなく、自分も牛の為、家族の為には働きたい」と申し出てくれた。私が人工授精師、受精卵移植師の免許を取り、70頭飼養できる牛舎へ増改築。夫も人工授精師免許を取得。目には見えない牛の情報を牛群検定の結果を活用し、繁殖管理、良質乳の維持に努めて改良し、疾病牛の早期発見、治療、廃用する牛の見極めをしている。

我が家の牛舎は4つ。70頭対尻式のタイストールの搾乳牛舎は大量のおがくずを敷料に使用、ユニット移動用レールで作業負担の軽減を図った。暑熱対策では、送風機11台を設置し、細霧システムも導入。室温を約2℃下げることができるようになり、夏場の乳量の低下、繁殖成績の低下の改善に役に立っている。生後10か月ごろからは、フリーバーンの育成牛舎で過ごす。種付の目安は16か月頃。同じ形のフリーバーンの乾乳牛舎では約2か月間過ごす。そして搾乳牛舎の隣のフリーバーン牛舎が分娩房兼リハビリ施設。分娩前後2週間、ここで様子を見る。分娩後体力が回復し、異常がなければ搾乳牛舎へ入る。また、搾乳牛舎で不調の牛がいれば、すぐに連れて来て、消化器官の不調であれば動くことにより改善されることも。広い牛床でゆっくり寝起きもでき、けがをした牛へも楽に対応できる。我が家で心がけているのは、不調の牛がいた時、自分の考えた処置より、一段上の処置をすること。「まだ大丈夫だろう」「もう少し様子を見よう」「忙しい」とよく思ってしまうが、この考えが失敗へと繋がる。症状が軽いうちに対応する、これが廃用時平均年齢9.2歳、産次数6.3産の長命連産へと繋がっていると思う。牛の個体管理は「いつも同じ状況」が一番大切だ。いつもと少しでも違うときに、いち早くその状況に気が付き、対応すること。牛舎に入った時、異変があると牛たちが教えてくれる。分かりやすく鳴く時もあるが、目で訴えてくるときもある。寝ている姿、食べている姿、いつも同じ状況を作ってあげるのが、個体管理へとつながる私たちの仕事だと思っている。

飼料給与の面では、日量35キロ以上生産する牛でも配合飼料は10キロ目でしか給与しない。粗飼料はオーチャードを主体とした混播牧草で、低水分牧草のロールラップサイレージを生産し、給与している。搾乳牛を含む全ての牛に、添加剤関係は一切給与していない。「必要なものはすべて草から」という考えで、乳飼比は30.7%に抑えられている。
牧場に休憩所を建て、環境美化・保全に力を入れて、一般消費者、学生の研修生や幼稚園の遠足を受け入れていたが、「出向いて発信して広めたい」という思いから平成21年に酪農教育ファームの認定を受けた。年に数回だが色々な教材を使い、酪農について説明し、“出前牧場”という名称で子牛と成牛を連れて、幼稚園や小学校、イベント会場で移動式搾乳体験学習をしている。

私たち夫婦は、両親同様、牛の改良に力を入れており、積極的に共進会に参加。昨年の秋田県の共進会は娘の強い希望で、父、私たち夫婦、娘の親子3代での出場となり、言葉に表せないほどの嬉しさだった。今は、来年の全共へ出場し、子供たちに全国の牛の美しさを見せてあげられるように準備している。私のように、娘たちも牛舎で手伝うようになってきた。先日、小学校6年生の娘が70頭繋がれている牛舎へ入り、「ここの牛が変わっている。どうしたの?」と尋ねてきた。たった1頭だが牛が入れ替わり、牛舎の雰囲気が変わったのに気が付いたのだ。1頭1頭分かってきたことに驚いた。

安心、安全な牛乳を生産して、消費者へ飲んでくれるように。人にとっても、牛にとっても、牧場の環境を良くする。1頭1頭大切に管理し、健康な牛にする。改良に励んで美しい牛を作り続ける。これが私たち夫婦の目標だ。そして、娘たちには牛との関わりの中で色々な経験をし、たくさんのことを感じ取ってもらいたい。現在、個体管理を任された私たち夫婦が一緒に牛舎を離れることはできない。子供たちの行事や遠出する時は、私か夫が牛舎へいるように決めている。経営発表会の経験がある両親が、今日は2人で行くことを支持してくれた。娘たちとほんの少し家族旅行を楽しませていただく。今回この発表会に参加させてもらい、両親、全農、地元JAの担当の方々にはとても感謝している。この話をもらったとき、正直、嫌だなと思ったが、「自分のこと」「牧場のこと」「考え」を、口にし書きまとめる作業は、自分の思いや未来へのビジョンをより鮮明にし、強めてくれ、素晴らしい経験となった。

※発表内容から抜粋しています。