歴代の発表者紹介

田中 洋希(北海道)

優秀賞 新しい力と共に歩む“絡農”経営

北海道東部の中標津町は人口2万4千人ながら空港もある。摩周湖などの観光地や鮭・鱒ふ化場があり、自然環境を配慮、保全する酪農が求められる。JA計根別は中標津町、別海町にまたがり、正組合員178戸のうち生乳生産農家151戸で、年間出荷乳量約8万4千トン、生乳取扱高約67億円の酪農単作農協。私は昭和40年に生まれ、酪農学園野幌機農高等学校に入学し、恵庭市の酪農家での実習を経て、60年に就農した。

農場は、曽祖父が昭和4年に岐阜県から入植、畑作を中心に開業。10年に父が生まれ、母乳代わりの貸付牛1頭の導入から酪農経営が始まった。当時、牛の餌は野草が中心、冬期は乾燥だけだった。30年頃から国の酪農技術指導が始まり、32年に40頭ブロック牛舎を建設。50年に牧草地70haの現在地に移転、スタンチョン80頭牛舎を建設。平成13年に私へ経営移譲。現在は、牧草地150ha、牛260頭。搾乳牛130頭で年間1400トンを生産している。これまでに数々の失敗も経験。約130頭がサルモネラに感染したり、臭気問題や土壌改良のために導入した糞用処理機で作った肥料が土壌に合わなかったりした。チモシーの衰退でサイレージの品質が劣化し、生乳の風味異常と乳房炎が多発した時は、農協、ホクレン、各メーカーと一緒に検証し、新しい土づくり、草づくりを始めた。春のスラリー散布は行わず、牧草は必ず1日以上の予乾を行う。サイロの消毒に気を付ける。結果、サイレージの品質が向上。乳量が大きく伸び、繁殖成績も向上した。その後、マイコプラズマ性乳房炎も発症したが、後継牛が増えており経営を続けることができた。

こうした経験から、自分の経営は「家族経営」で、家族やその一員である牛と、多くの人たちに助けられ、みんな繋がっていることに気付いた。酪農とは「絡農」だと。養老牛区は高齢化で労働力不足の酪農家が多く収穫作業が難しいので、2人の酪農家と3人で、平成13年にコントラクターSWATを設立。ここ数年は3人で話し合い、地域全体の草が少しでも良くなればと、コスト軽減や作業効率向上を考え、装置の簡易更新を行っている。また、完全更新と簡易更新の比較調査も農協やホクレンと共に行っている。植生状態は簡易更新も遜色ないが、雑草が出やすいデメリットもある。対策として、オーチャードグラスとペレニアルライグラスの混播に挑戦。どんどんトライして、地域へ新しい情報を発信したい。
農協青年部時代にその活動を知ってもらおうと地元産品の消費拡大運動に注力した。昨年、吉本興業と協力し地域を題材にした映画『トップ』を制作、沖縄国際映画祭に出展された。私も農場をロケ地として提供した。養老牛区の青年会「明日を築く会」は父が作り、50年以上も活動している。勤労感謝の日に地域の文化祭を開催。私が発案したアトランティックジャイアントカボチャ大など、住民の楽しみのひとつとなっている。私の農場は数十年前より、担い手育成のために実習生の受け入れを行っている。併せて外国人研修生も受け入れ、出身国の酪農技術の普及に少しでも貢献できればと思っている。

私の経営方針は中規模酪農経営で、「家族で管理できる頭数」での飼養管理。現在、繋ぎ牛舎では限界とも思われる130頭の搾乳牛。対頭式牛舎で、牛も家族と考え1頭1頭の個体管理ができる。個体乳量が1万キロを超えるが、分娩間隔は410日で良好。経営者一人ではなく、家族や農業従事者と一丸となって、土づくり、草づくり、牛の健康管理に細かく気配りすることで、円満な経営ができると考えている。コスト軽減のための簡易更新の普及、後継牛確保のための雌雄判別精液の利用、有利個体販売のための和牛の受精卵移植に取り組み、暑熱対策や寒冷地対策にも力を入れている。

家族経営の酪農家が結集したグループを地域で形成し、農地づくり、牧草づくりのコントラクター、第6次産業である乳製品製造・販売組織、担い手育成組織などを全体で行うことで、周辺の産業も盛り上がり、地域経済が活性化していく。「田中牧場が舵を取り、地域を盛り上げていきたい」と思っている。長男もきっと後を継いでくれるとワクワクしている。長女は高校卒業後に栄養学を学ぼう、と考えているようだ。長男が生産した牛乳を長女が加工するという、家族の繋がりの中の6次産業化を勝手に夢見ている。これからも家族、地域、仲間、そして牛たちに感謝し、繋がりの中で「絡農」を追求していきたい。