第33回の発表者紹介

水戸 崇宏(福島県)

優秀賞・特別賞 快適性を求めた酪農経営 〜牛と人の満足度向上のために〜

相馬郡新地町は、福島県浜通りの最北部にあり、四季を通して温暖で、平均気温12度と過ごしやすい気候。人口約8千人の小さな町で、東日本大震災で津波と地震、更には放射性物質などの多くの被害を受けたが、確実に復興が進んでいる。酪農家は、我が家を含め2軒。終戦後、祖父が開墾し、父が北海道での酪農実習を終えた昭和41年に酪農経営が始まった。私は農業短期大学校、酪農ヘルパー組合を経て、平成12年に25歳で就農。「牛を自由に運動させ、健康な牛づくりをしたい」と平成16年に飼養形態を60頭規模のフリーバーン牛舎に拡大。平成24年に経営を移譲された。

フリーバーン牛舎2棟は、大きい方に搾乳牛40頭、小さい方に搾乳牛10頭と乾乳牛10頭。小さい牛舎の搾乳牛は、乾乳前後、蹄病、乳房炎などの治療中の牛などを置いている。搾乳は、自動離脱式のミルカーで行う。平成26年に牛白血病対策、下痢予防対策のパスチャライザーを購入。下痢の心配も減り、初乳、出荷待ちの牛乳を捨てることなく使えるので、経費削減になっている。草地はオーチャードグラス、イタリアンライグラス、赤クローバーの混播牧草で3番草まで収穫している。
乳量のピークの平成20年は過密気味で、それを解消することで総乳量は減ったが発生していたトラブルは解決。その後、徐々に乳量も回復している。平成16年にフリーバーン牛舎への移行で発酵TMR給与に変更した。当初は順調だったが、次第に乳成分が低調、繁殖も不順になり、体調を崩す牛も増え事故率も高くなった。平成21年にフレッシュTMR切り替え、牛のトラブルも減った。給与メニューの単純化、重機による給餌作業などで省力化に努めている。

後継牛は、飼養スペース不足のため市場購入に頼っていたが、岩手への預託で平成23年から自家育成牛の増頭を始めた。収益性確保のため、繁殖管理や飼養管理の改善に取り組んでいる。毎月の獣医師繁殖研修で改善点を検討してもらう。効率的な後継牛の確保に県の補助事業を活用し性判別精液の人工授精を行い、平成26年から国の助成事業でET和牛生産に取り組んでいる。
フリーバーン移行当初、蹄病が増えた。牛の居場所はできるだけ乾燥させるように、敷料を増やし、過密気味の飼養頭数も減らした。削蹄を年2回に増やし、送風機をインバータ付送風機へ拡充し数も増やした。細霧装置も合わせて暑熱対策を行っている。毎日2回水槽の掃除を行い、綺麗な水を与えている。フリー式の牛舎は感染性の病気が広まりやすいため、栄養の充実、ワクチンや薬品などで発病や感染がしにくい状況づくりを心がけている。ベッドを乾燥させる敷料に、町内の稲作農家やJAのライスセンターからもみ殻をいただく。足りない時のおが屑など負担も大きいが、堆肥の発酵は早く、良質だ。堆肥の9割は耕種農家に管理してもらっており、流通はスムーズだ。
全農酪農福島同志会の副会長と浜地区支部長を任され、会員の技術向上と親睦を深めている。隣接した宮城県からも勉強会の誘いがある。情報交換だけでなく日々の悩みについて語り合う貴重な機会だ。

平成23年3月11日14時46分、震度6強という身動きが取れないほど大きな揺れが起こり、高さ10mを超える大津波が押し寄せた。電気も使えなくなった。牛たちも騒然としていた。停電で搾乳ができず、牛たちが乳房を腫らせ、一晩中鳴いている。地震警報と津波警報に怯えながら、布団に潜り込み耐えることしかできなかった。翌日、電気は使えるようになったが、牛乳工場も被災し集乳することができなくなり、搾った牛乳を全量廃棄することとなった。3月20日、新地町産の牛乳から放射性物質が検出され、生乳の出荷自粛を強いられた。乳量を抑えるために配合やルーサンの量を極力控え、自家牧草をメインに与えていた。次第に牛も痩せていく。搾ってはバキュームカーで汲み上げ、畑に散布する日々が続く。未経産牛の出産が始まるが、獣医は避難先でガソリンが手配できず身動きが取れない。何とか別の獣医に帝王切開で子牛を出してもらったが、子牛は死亡。親牛も経過が悪く淘汰処分になった。4月23日、原乳を出荷できるようになる。集乳車が来た時、震えが止まらなかった。5月、一番草を収穫するも、放射能の影響により給与不可となる、など色々あり4年半が過ぎた。放射性物質汚染の影響は大きく、現在でも自給飼料モニタリング検査が義務付けられ、結果に応じて給与不可となる。原乳が出荷可能になってからこれまでの放射性物質モニタリング検査で限界値を上回る数値は出ていない。また、クーラーステーションタンクや、ローリー、バルク単位の検査も厳しく行われており、安全・安心確保のために、検査体制が整っている。県内の牛乳や乳製品の販売回復は、まだまだ道半ば。加工品の売行きは回復傾向でも、飲用向けが震災前の半分にも満たない。苦しい状況は続くが、これからも管理を徹底し、安心・安全でおいしい生乳を届けるため、日々努力していきたい。

様々な取組みは、妻の妊娠・出産そして育児の経験を、牛の扱いと置き換え、見直し始めたことがきっかけだった。牛の満足度を高めなければ、その能力を発揮できない。自分の暮らしの満足には、まず牛の満足、と考えるようになった。まだまだ利益は出ていない。さらに、両親の高齢化、妻の育児など、労力不足の懸念など課題だらけで、壁がいくつも待っているが、今後も勉強、試行錯誤しながら、家族や仲間、関係者のご指導で、日々精進していきたい。