歴代の発表者紹介

河又 潤(栃木県)

優秀賞 地域と共に歩む経営

栃木県の酪農家は758戸、乳牛頭数5万3千500頭、生乳生産量は約年間30万トン、日量834トン。都府県の中では一番生乳生産量が多い。茂木町は茨城県に隣接する中山間地域で、生乳の農業生産額は米に次いで2番目。8戸の酪農家がおり、3戸で共同作業をしている。
我が家の酪農は昭和30年に祖父が導入した1頭の乳牛から始まった。昭和50年に父が25頭牛舎を新築、パイプラインミルカーとバンクリーナーを導入し経営が本格化。私は平成元年に酪農学園短大を卒業し、半年北海道での実習を経て就農した。父が60歳を迎えた平成15年に私に経営を移譲。

経営は繋ぎ牛舎で、経産牛34頭、育成牛25頭で、耕地面積750アール。自給飼料はデントコーン650アール、裏作として夏播きエン麦300アール、イタリアン450アールを作付。イタリアンはライ小麦とクローバーを混播し、牧草の収量もアップしている。牧草ロールラップサイレージの通年給与を開始した頃から乳量も伸び始め、牛の状態も安定してきた。若い頃は出る牛は思い切って搾ったが、牛群のばらつきが多く、だいぶ牛をダメにした。現在は牛群の均一性が取れて乳量の幅が小さくなり、平均で9千500から1万キロを維持。牛たちにも無理のない飼養管理と自負している。また、すべての後継牛が自家育成。中山間地の急勾配のパドック管理で、肋や足腰の強い、乳房のしっかりとした牛の育成に努め、適正時期での種付ができている。現在の導入牛の値段の高止まりで、一層の経費削減になっている。近年は平均分娩間隔が390日で、県牛群検定組合から表彰を受けた。平均種付回数も1.7〜2回で全国平均2.4を上回る。これは牛をよく見ることに尽きる。給餌後に牛舎を1周、発情に気付いたらすぐに対応。月1頭ペースで初妊牛が上がってくるので、全体が若く元気で経済効果が期待できる牛で埋まっている。診療費が少なく済み、間接的な経済効果も高いのが河又牧場の強みだ。毎年、牛群審査を受け、現在88点の牛がいる。客観的な評価は大変重要なこと。エクセレント牛を目指して管理していきたい。
家族や年齢もあり、最近は共進会に出品はしていないが、当時の仲間との交流は大きな財産となっている。若い後継者の手本とならなければいけない年代になってきたが、色々な会合でまだまだ勉強不足だと思い知らされ、研修会には時間の許す限り参加している。皆さん経験豊かな「牛のプロ」なので、意見を聞くことや他の方法を知ることは非常に重要だ。

茂木町の美土里館という堆肥センターを中心とした街づくりは地域循環型農業のモデルケースだ。全国各地から多くの人が視察に訪れる。我が家の糞尿も50%を出している。茂木町では「美土里たい肥」を使った農産物は“美土里たい肥ブランド”として販売。その地場野菜を市場や道の駅で販売し、学校給食にも提供している。そこで出た生ごみが再度美土里館に帰って来て、消費から生産までの地域循環型社会の一部を担っている。酪農家の負担軽減、生ごみ処理費用の軽減など、目に見えない部分でも住民のためになっている。
デントコーンの刈り取り作業、牧草のロール収穫作業を、近所の酪農家3戸と共同で行っている。ロールベーラー、ラッピングマシン等を共同購入し、作業の効率化、機械の低コスト化を図っている。共同作業は23年間、一つ上の世代から続いている。町や関係機関、近隣の酪農家や仲間たち、多くの人々に協力で河又牧場がある。

県青年助成会議時代に行った牛乳のPRなどの消費拡大運動で、より安心で安全な牛乳を生産しなければならない、と改めて考えさせられた。未来を支える子供たちに食べ物の大切さを実感してもらうために、搾乳体験で牛に触った感覚など自然と触れ合い五感を通して感じ取ったことを大切にしてほしいと思う。

私の経営は牛からただ乳を搾るというだけではない。土を耕し、作物を作り、愛情をもって牛を育て、牛乳をいただいて生業を築いている。そこには多くの人々の助けがあり、共に助け合って生活している。これからの農業、酪農は地域での取り組みが重要になってくる。農業は食料を生産するだけではなく、環境を守る産業である以上、消費者と生産者がともに理解し合い、手を取り合って地域社会を作っていかなければならない。今後も家族を守り、地域を守り、環境を守り、人と人とのつながりを大切にして、地域の一員として経営に当たっていきたい。