歴代の発表者紹介

知久 久利子(千葉県)

優秀賞・特別賞 バランスを大事にする牛飼いを目指して

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人口15万人を超える野田市は、都内も通勤圏内に入るベッドタウン。柏寺を含む関宿地区は、東は利根川を挟んで茨城県に、西は江戸川を挟んで埼玉県と隣接。第42代内閣総理大臣・鈴木貫太郎は、戦後、緑広がる土手地と河川という土壌に着目し、循環農業の酪農を進めた。
我が家の酪農は、昭和35年に父が1頭の乳牛からスタート。その後、増改築を繰り返し、現在の130頭規模にまで増頭。私は北海道の幌内で家族酪農の素晴らしさを学んだ後、千葉県の酪農協に勤めた。購入した離農農家の子牛を、快く預かってくれた縁で、知久牧場の家族になった。4人の息子に恵まれ、長男は今年成人し、3代目として就農した。
飼養管理は、月2回ヘルパーを利用し交代で休暇を設け、仕事とゆとりのバランスを取っている。育成牛は、自家後継牛を確保しつつ、3か月齢まではカウハッチで個別管理。食い込みができるようになれば群飼いに移し、自給飼料で強い牛づくりを目指している。乾乳牛にも自給飼料を飽食させて、ゆっくり休ませると同時に、広いパドックで運動させている。

河川敷は、二川草地組合の7戸の農家ですべての作業を当番制にし、6台のトラクターで、作業を効率的に進めている。収穫したイタリアンは配分し、全量自家消費。春にはたくさん生える菜の花を歩きながら除草。5月の1番草収穫の前に追肥し、5番草まで収穫。江戸川の河川敷は地力が弱く収量がなかなか伸ばせないため、もう少し広い草地になってくれたらと思っている。
酪農家の、特に奥様方に勧めたいツール、フェイスブック。酪農は365日休みがなく、女性は家事や育児などもあり、誰かと交流するということは難しい。フェイスブックは、家にいながら、作業しながら、いろいろな情報を得られる。日々の発見や出来事、薬や乳製品の最新情報まで多種多様。昨年から和牛卵受精卵移植を導入し、市場に出荷した雄子牛は35万円と期待外れだったが、「どのように和牛子牛を哺乳しているか」と書き込むと、全国の酪農家や肥育農家からアドバイスをもらい、次の市場では12万円も高く売ることができた。フェイスブックの話題の中から取組み始めたのが「ホワイトヴィール」生産。ジャージーの雄や骨折した子牛などを活かせる命にしたいと思っていた。買い手を探すことから始まり、定期的に出荷できず、食材自体の認知度も低いが、需要が増えたら嬉しい。

私の生きがい、張り合いである「チーズづくり」。インターネットの見様見真似で作ったらゴムっぽいがチーズの味がする、モッツァレラチーズができた。自分で搾った牛乳で、まさかチーズができるなんて、とても感動した。 世界に何千種もあるチーズの多様性にどっぷりはまった。 自分の作ったチーズを誰かに食べてもらうために、牧場の入口にチーズ工房を建てた。 一昨年、県内でチーズを作る酪農家が集まり、「ちばフェルミエネットワーク」を立ち上げた。 みんなが牛の仕事もチーズづくりも楽しく取り組む姿に、いつも励まされる。 同じ県のなかで、お互いに悩みを聞きあい、教えあい、つながれることはとても素敵なこと。これからも、みんなで千葉の牛飼いチーズをどんどん発信していきたい。いつかこのチーズを食べたら、牧場の風景が思い浮かぶような、知久牧場らしいチーズを作りたい。それに必要不可欠なのが草づくり。その土地のいろいろなものを取り込んだ草を牛が食べ、牛の腸内のバランスを整え、美味しい乳を搾ってチーズを作る。それが牧場の、この土地の味につながるチーズづくりにつながるのではないかと思う。 地元農業事務所が主催する視察研修や、若手酪農家の会「関宿ミルクファーマーズ」にも積極的に参加。子牛の哺育方法についての座談会に参加したところ、哺乳方法が色々違い、お互いに良いところを共有できた。地元のつながりは、関宿の酪農を盛り上げていくうえで必要不可欠なもの。息子の世代にも積極的につながりをもって、お互い励まし、刺激し合える仲間になって欲しい。

私の夢は、牛たちとの暮らし、チーズ作りができる楽しさを伝える「関宿牛飼いサロン」。牛に興味ある人、学生さん、牛飼いを応援してくれる方などと、チーズを片手に、コミュニケーションできる場所を作りたい。たくさんの人とつながり、酪農応援団を増やして、後継者さんや担い手さんたちに繋げられたらいいなと思っている。