第33回の発表者紹介

黒瀬 礼子(奈良県)

優秀賞・特別賞 「いちづ」に守りつづけてきた酪農 〜仲間とともに働き、共にいきる〜

奈良県の乳牛は天然記念物と言われているぐらい少ない。農業人口は高齢化にあり、兼業率も高く、農産物は右下がりの減少の傾向。東大寺の裏側に位置する植村牧場の仲間には、障がいを持っている人が14名いる。朝から夜遅くまで、搾乳、清掃、牛乳の製造・配達を中心に、一生懸命、活き活きと頑張って働いてくれる。6次産業として植村牧場内に作ったレストランは、酪農一筋、一途に頑張ってきたことと、障がいを持っている人たちも一途に頑張って働いていることを掛け合わせて『いちづ』という名前にした。

父が脳卒中で倒れた時、私は勉強のために北海道の農場にお世話になった。頭いっぱい新しいことを詰め込んで帰ってきて、祖父に機械化・省力化を提案した時に、「20頭、30頭の牧場で機械化して、やっていけると思うんか!酪農や農業の仕事は、朝から晩までコツコツ身を粉にして働いても、食べていけるか、いけないかの厳しい仕事だということを、これから肝に銘じて生きていきなさい!」と叱られたことを今も鮮明に憶えている。祖父はいつも、「牛にはしっかり太陽を浴びさせ、粗飼料を与え、運動させて、足腰の強い健康な牛を育てなさい。そうすることで出てくるお乳はいつも健康なんや」ということを、何度も言っていた。植村牧場には「牛が健康ならば、牛乳も健康」という祖父の教えがいつも根底にある。

植村牧場は明治16年から130年余り続く、奈良県で最も古い牧場で、この歴史のある牧場を次の世代へ繋いでいくことが今の課題だ。職業安定所の紹介から始まった知的障がい者雇用も、現在では14名が一生懸命働いてくれる。元々6次産業という意識は全くなく、「余った牛乳で何かできないか」ということから始まった。労働力不足から障がい者雇用を始めたが、今に至っては、彼らがいなくては成り得なかったと思っている。彼らの働きぶりを全国にアピールして、『酪農に障がい者雇用を』というモデルになれればいいと思っている。奈良市の『まちかど博物館』に指定された明治からの古い牛舎の廊下を、彼らは朝昼晩、綺麗に掃除してくれる。町の真ん中の牧場なので牛の下に敷き詰めたおが屑を、朝昼晩、綺麗に片づけてくれる。牛乳配達の担当は、お客様が病気になった時に、自分の休みに奈良名物の三笠まんじゅうをお見舞いに持って行ったところ、奥様は涙を流して「自分の子供でもそんな優しいことはしてくれへん」と大変喜ばれたエピソードもある。全自動殺菌の洗瓶機を持っているが、障がいを持った子たちが沢山働いているから、衛生面と言われると困るので、返ってきた牛乳瓶は全部手洗いしている。彼らの訓練を兼ねて手洗いをした牛乳瓶を全自動殺菌の機械に入れるまで気を付けている。

住宅街に牛舎があるため、糞尿の処理にはすごく気を遣っている。現状は農家の需要が糞尿よりも多いくらい。酪農の理解・情操教育に、小学校や幼稚園、保育園の見学を積極的に取り入れ、また中学生の職場体験や高校生・大学生のインターンシップを通じて、酪農の辛さ・楽しさを理解してもらっている。教育大付属小学校の地産地消の取り組みの一環として、牛乳を数年前から取っていただいている。「牛乳瓶、落としたら怪我せえへんか?」「口が欠けてて、口に怪我せえへんやろか」っていう声もあったが、私が「そんな安全なものばっかり子供さんに与えるのはいかがなもんやろ。瓶は落としたら割れるんや、危ないんや、ということを教えるのも教育ではないですか」って言わせていただいたら、即牛乳を取ってもらえるようになった。夜には『いちづ』を地域の人たちが語り合えるような憩いの場として提供させていただいている。経営難だが「長く続ける」ということを主体に、次世代に繋ぐことを大切にしていきたい。そして6次産業を頑張っていきたい。

植村牧場は仲間があってやって来れた。経営していく上で利益を追求するのは当たり前だが、長い間大きな利益はほとんどない。だが、障がいを持っている青年たちが「一生ここで働きたい」、「高齢者も従業員も、死ぬまで使ってや」、そんな声を聞くと、これ以上嬉しいことはない。みんなが前向きに、元気に、生きがいを持って活き活きと働け、小さな牧場でもどこかダイヤモンドのようにキラッと輝いていけたらいい、いつもそのように思っている。『仲間と共に働き、共に生きる』をもって、今後も酪農を『一途に』守り続けていきたいと思っている。