第34回の発表者紹介

山田 保高(滋賀県)

優秀賞 山田保高さん(滋賀県) 作品タイトル 牛乳消費拡大の最前線へ/搾り継ぐことを誇りと思える牧場を目指して

・搾り継ぐこと
私は乳を搾る人のことを、尊敬の念を込めて『搾りびと』と呼んでいる。今日はその『搾りびと』のことを、色々な言葉と私の経営の中からお話させていただきたい。人が乳を搾りはじめて約1万年になる。400代ぐらい前から始まって引き継いできた、そういう「搾り継ぐこと」をこれからも続けていきたい。

・山田牧場について
私の牧場は、飼養頭数96頭、育成牛が75頭、年間乳量は8800kg。従業員数は、牧場10名とスイーツ関係10名。販売品目は、生乳、瓶詰め牛乳、ヨーグルト、バター、生クリーム、スイーツなど。これからチーズづくりもやっていきたい。創業は大正14年、祖父が京都で始めた。乳搾りの名人で、宮内庁の御陵牧場に搾乳指導に行っていたという。三代目の私が、その牧場を昭和49年に滋賀県信楽町に移した。オイルショックで苦労し、さらに生産調整という問題が出てきた。まだ借金もあり、子供もできて、どうしたら経営維持できるかと考えたのが、自分で搾ったものに自分で値段をつけて、自分で売るということ。乳業メーカーのできない牛乳ということで、低温殺菌ノンホモ牛乳を作った。最初の頃は、上に浮いたクリームで「腐っている」と言われ、高速道路で販売した時、遠くのお客様まで謝りに行ったりした。できるだけ遺伝子組換していないエサをやりたいというこだわりで、配合種に半分ぐらいトウモロコシを入れていたが、Non-GMOのトウモロコシは値段が高くて苦労した。8年ぐらい前、飼料が高騰した時期は、トウモロコシに代わるでんぷん飼料としておからを使い、最近では飼料イネ、WCSも使うなどの工夫している。

・さまざまな取り組み
教育ファームでは、時流に合った話をしている。宮崎で口蹄疫が出た時に、牛、豚、ヤギ、ヒツジなど、29万8643頭という、ものすごい数の動物が殺されたという、悲しい事実があった。29万頭という本当におびただしい数だが、広島と長崎の原爆で29万人以上の人が亡くなったのと同じ数。そういうことも話しているのを自分では「口蹄疫反戦論」と呼んでいる。それで家畜の霊を慰めることができるかと思ったりする。「搾りびとカンパ」として、大震災後に搾乳体験に来てくれた人には、募金をしてから搾ってもらった。何年か後に、福島からホームステイに来てくれた人たちに、その募金をお渡しした。 子供たちが来た時は、牛の5つの仕事を話す。まず子牛を産む。そして子牛を産んだら乳が出る。3番目に糞尿をする。臭いけれど野菜やお米の肥料になっていく。4番目は、乳が出なくなったら肉になる。そこまで話をすると、子供たちは「かわいそうだ」と泣いている子もいる。その感受性で素晴らしい芸術作品を生んでくれるのかなと思ったりする。5番目は、牛の背中に子供たちを乗せてあげる。そうすると「お尻があったかい」と、同じ命がある動物ということを教えてくれる。ホワイトツーリズムと称して、牛乳からできる色々なものを体験してもらっている。牛乳は色々なものに変身するので、「五乳豊穣」という言葉で、色々なものを作る体験を楽しんでもらっている。

チーズ工房は未完成だが、ジャージー、ブラウンスイスを使ってモッツァレラを作りたい。オープンしたレストランは「和伊の店」として、イタリアのチーズと和食との組合せで、ホエーを使って塩分を減らした血圧を下げる食事を提供しており、それで人間が健康になっていけたらと思っている。
パーラーは、ただ乳を搾るだけのパーラーではなく、思考するパーラー、哲学のパーラーとして、「哲パラ」と名付けた。「牛に願いを、ミルクに夢を」というのは、HPのキャッチフレーズだが、酪農を題材にしたテレビドラマや漫画、アニメや本などを通して若者が酪農に興味を持って、これからどんどん『搾りびと』が出てくれたらいいなという思いを込めている。

・搾りびとであることを誇りに
その『搾りびと』がつくるミルク、そのミルクのことについて読ませてもらう。「酪農というのは、食と文化に関わる仕事です。古くから西洋のことわざに、乳は神が人間に与えたもっとも完全に近い食品である、という言葉があります。私たちが携わる乳というのは、それほど素晴らしい食べ物です。食は命の糧であり、また文化でもあります。私たち『搾りびと』は、千年、万年と搾りつづけることによって命を守り、文化を育てます。食というのは、からだの食べ物、文化というのは心の食べ物です。からだをつくりながら、心をつくりながら、搾りつづける意味を自分自身に問いかけながら、高い意識を持って、いつまでも搾りびとであることを誇りに思って、酪農に励んでいきたいと思います」。
私の夢は、いつも酪農の野原を駆け巡っている。