第34回の発表者紹介

三井 龍太(香川県)

優秀賞 三井龍太さん(香川県) 作品タイトル 生活の糧として牛と歩みつづける酪農経営

・私のモットー
私は「まずは自分の全てを差し出してから」という信念で、時間、知識や経験、お金、生産物など、自分ができる限りのものを先に差し出す。その結果、それ以上のものが返ってくる。見返りをあてにせず、相手に押し付けない。これは恩や義理も同じと考えている。

・香川県の酪農
香川県は日本一総面積が狭い県で、広大な土地が必要な畜産には不利な状況の中、乳用牛、肉用牛、飼養頭数は全国20位と高い位置にある。全国でも高いレベルの飼養管理技術と高い増頭意欲がこの結果に結びついているが、酪農戸数は減少し、平成27年には83戸と7年間で半減した。しかしここ5年間、生乳生産量はほぼ維持しており、年間搾乳量1000トン以上の農家戸数は四国で最多。私も全国の1000トン以上の酪農家が集まる「千トン会」にも積極的に参加し、大規模酪農家と交流を深め、さらなる増頭を意識している。

・三井牧場について
牧場の周辺はパイロット事業で開発され、県では珍しい広い牧草地を所有している。民家もなく、酪農を営むにはとても恵まれている。今のまんのう町の牧場から車で約40分の仁王町で曾祖父が昭和29年に酪農を始めた。私は高校卒業後、1年間鉄工所に勤務した後に就農。近隣の反対から平成16年に現在の場所に移転した。
移転後は経営、牛乳の品質ともに厳しい状況の中、少しずつ立て直し現在は150頭規模まで拡大した。

三井牧場では経産牛111頭、育成牛36頭の乳牛を、私と妻、両親、従業員4名の8名で飼養し、平成26年に出荷乳量1000トンを越えた。牛舎内のご紹介になります。新年度より3名の雇用をしてまいりましたが、牛舎は暑熱対策の大型換気扇サイクロンの導入や牛舎丸ごとトンネル換気も検討している。移転3年目頃から、環境性の乳房炎が多発し、1年間で約20頭の牛を淘汰。当時は原因が分からず、経済的にも苦しくなった。家畜保健衛生所の先生から、牛床に敷いたおがくずが原因と指摘され、戻し堆肥の指導を受けた。戻し堆肥が安定して飼肥料として活用でき始めてから、環境性の乳房炎はほぼ発生していない。定期的に牛床、戻し堆肥、バルク乳、搾乳タオル、乳房炎の乳汁を北海道の専門機関に送り、細菌検査を依頼し、菌の同定、薬剤感受性を知り、効果的な治療を実施している。発生源を特定し乳房炎対策にも取り組んでいる。今後は朝夕の二交代制シフトで、牛舎清掃、牛床整備に労力をつぎ込み、問題解決に取り組んでいく。

・酪農経営の取り組み
パーラーは5頭ダブルのオートタンデム方式で、3人での搾乳時間は掃除を含め約3時間弱。出生子牛は全て牛舎の隣の畑のカーフハッチで飼育している。離乳した牛は生後2ヶ月程度で育成牛舎に移動。妊娠した育成牛は分娩2週間前に親の牛舎に移動する。
良い結果はスタッフの手柄になるように、私は道筋だけをつける。それによって仕事をしていく上で大事な自主性が生まれる。一生涯この牧場で仕事をしたいと思えるような環境作りをするのが、私の最大の仕事だ。

飼料と牧場全体の管理をお願いしている先生と、繁殖関係をお願いしている先生を紹介したい。お二方が来場するようになってから牧場の成績は格段に上がった。酪農のプロにいつでも相談できる安心感と最先端の情報が入る利益は、コンサル代金以上のもの。牧草はコンテナごとに成分を分析し、1キロ単位のエサの調合、数ミリ単位のミキシングを行っている。繁殖関係は全て検診してもらう。受精後28日から妊娠鑑定を行い、心拍の有無と双子の確認。不受胎牛にはその場で妊娠プログラムを実施する。
3年前の30歳の時に父に頭を下げ、経営移譲してもらった。1日でも早く大きな責任を自分に課すことが、牧場にとって最大の利益につながると考えていた。経営者としての人生は20年としている。50歳の誕生日に、牧場の中で外部の人材も含めて一番経営者として適任と思う人に移譲する。この20年で経営を継いでもらえるよう牧場をいかに成長させるかを青年会議所で学んでいる。

・今後の目標
今年の4月に強風で倒壊した育成牛舎の建て直しとさらなる規模拡大。クラスター事業を継続し、次年度は草地関係の機械も検討中。倒壊直後、牛舎内にまだ牛が残っていたが、隣の牧場など10数名の青年会議所メンバーの方や多数の畜産関係者の方が駆けつけてくれ、20頭ほど下敷きになった牛は1頭のみの廃業でおさまり、人のつながりの大切さと皆さんの行動力には感謝しきれない。現在は片付けも終わり、次の牛舎の構造を練っている。今後はクラスター事業を使い、機械関係を整備し、飼料コストの削減、循環型酪農へとさらに進化し、新しいスタッフとともに、消費者の方々に満足いただける生乳生産を目指す。