第35回の発表者紹介

富澤 裕敏さん

群馬県 富澤 裕敏さん我が酪農人生に欠かせない○○ 〜21世紀酪農家のmission〜

・群馬県東吾妻町について
東吾妻町は群馬県の北西部、真田丸で有名な岩櫃場跡や八ッ場ダム、温泉地が点在する吾妻郡にある。JAあがつま管内はこんにゃくをはじめ、様々な野菜や花卉などの生産のほか、畜産も盛んな地域。養豚が10軒3,600頭、養鶏が6軒160万羽、繁殖和牛が22軒500頭、そして酪農は、北軽井沢地域を中心に47軒で4,400頭を飼養している。

・富澤牧場の立地について
上毛三山である榛名山の西麓、山と緑に囲まれ浅間山を望む標高850メートルの地点に位置。風があれば、夏でも過ごし易いが、冬の寒さは厳しく、最低気温は-10℃ほどで最高積雪も30センチを超える。山の斜面で平らな土地が少ないが、大自然に囲まれたこの地域は酪農をするにはとても良い環境だ。

・富澤牧場について
牧場の始まりは昭和21年。祖父が西榛名開拓組合の一員としてこの地を開拓し入植。当時は、昼夜の気温差を生かして、インゲンやトウモロコシなどの野菜を生産していた。父が昭和43年に就農、販売用トウモロコシの茎と葉を餌に10頭ほどの乳牛を飼養。少しずつ増頭を続け昭和54年に牛舎を新築、酪農専業になった。現在は経産牛約80頭と約35頭の育成牛は生後6ヶ月から分娩の2ヶ月前まで北海道内2ヶ所の預託牧場に預けている。性判別精液や和牛受精卵IVFを用い、効率よく後継牛を確保している。
エサは、自給粗飼料を中心としたメニューで、牧草とデントコーンそれぞれ約7haを耕作、近年は周辺の離農地を借りて面積を増やしている。 搾乳牛舎に22台、乾乳舎に7台のインバーター付き換気扇や、アブを捕獲するトラップを設置し、牛のストレス軽減を図っている。搾乳はキャリロボと自動離脱のミルカーを使い、搾乳は1人でも70頭の対応可能。牛舎内と乾乳舎、牧場入口などにはカメラが設置されていてインターネット環境であれば、どこでも牧場や牛の様子を確認できる。また、録画された数ヶ月分の映像は、牛や作業に問題があった時の振り返っての考察や、新入りスタッフに映像で作業イメージをつかんでもらうなどに利用できる。
家族を始め、安心して任せられるヘルパーさん達や既に引退されていても頼りになる先輩方、古くからの付き合いのパワフルな仲間たちによる『チーム富澤牧場』。搾乳、給餌に対応できる人は、私以外に5人おり、その内2人がフレキシブルにペアを組めることで、家族の労働負担をより柔軟に軽減してくれている。
当牧場は、酪農教育ファーム認証牧場。牧場に子供達を招いての酪農体験、出張酪農教室、「夢は牛のお医者さん」の上映会など、近隣の同世代の酪農家の力を借りながら、毎年実施している。また、教育ファームや地域交流牧場全国連絡会の活動を通して、全国の酪農家や学生たちとの交流やディスカッションに積極的に参加している。

・就農するにあたり
家の酪農を継ぐ転機になったのは、東京で過ごした4年間で起きた心の変化。友人や様々な地方からの出身者と話をしている内に、故郷の素晴らしさを再確認した。そして、自分を育ててくれた両親と、その生業としての酪農に改めて感謝するとともに、価値と可能性を感じ、生産者として食に関われることに魅力を感じた。
地元に戻り、酪農を継ぐ意志を伝え、当時の30頭ほどの経産牛の増頭と長年使ってきた牛舎や機械を新しくすることを決めた。当時の私は酪農の知識が無かったので、建設する間、JAあがつまの畜産部で働きながら勉強。スモール、生乳、和牛子牛の出荷業務などをしながら管内の農家を回り、牛舎や工夫を見て、考えを聞くことができた。
平成18年新たに80頭タイストール牛舎が完成し、JAを退職後に就農。牛の頭数がそれまでの倍以上になったので、毎日の作業が過酷で、辛い日々もあった。それでも、思いを持って酪農を選んだ自分と、借金を背負った心地よいプレッシャーから、足りない知識をカバーするべく、ひたすら働き、ひたすら観察し、ひたすら覚える毎日を過ごした。就農当初から、授精は自分ですることとし、繁殖と乾乳の管理に重点を置き注力した。さらなる繁殖成績改善に向け課題はつきない。

・酪農に向き合って
就農してからも経営を悩ませる事はたくさんあった。牛の病気や人の怪我、人材不足、為替変動による飼料価格の高騰などは簡単に経営を脅かす。常にそのリスクを孕み、ウイークポイントが必ずあるのを忘れず、良い時も慢心せず、以前からあったものも必要かどうかを再検討し、生乳を一滴も無駄にしない、自給でも購入でも、餌は胃に入れば餌だが入らなければゴミだ、といった当たり前で細かいことも一つひとつ指摘し、ロスを徹底して削減した。
雇用で人手と時間を作るのは、事業の持続可能性や地域への貢献に密接にリンクしている。自分が実際に仕事をやっている中で伝えることさえうまくできれば、人に頼むことは十分可能と考え、できる限り作業をシンプルにし、それを言葉として書面にまとめ、作業マニュアルを作成。専門家に相談し受け入れの体制を準備し、雇用を開始した。
経営者となった今でも、酪農家として変わらず牛とともに過ごせているのは、牧場の仕事に取り組んでくれる家族やスタッフ、ヘルパーさんの存在。私たちの生産物を運んで、集乳につなげてくれる集乳車の運転手さんや農協の皆さん。一緒に牛を観察してくれる飼料会社の皆さん。堆肥を使ってくれる野菜農家さんや畑を貸してくれる地域の方々。 そして助言をくれるプロフェッショナル。自分1人では当然できなかったことも、信頼のおけるたくさんの方々に頼らせてもらうことで、富澤牧場を形作ってきた。

・これからの酪農経営について
現代酪農家が果たすべきミッションは「ファン」の開拓。牛乳や乳製品のファン。牛や酪農のファン。教育活動ファームを通じて、多くの学生と会う機会が増えたが、酪農業にとって宝となる彼らが、酪農に関わって生きていくためのサポートや受け皿は、率先してやっていかなければいけないテーマだと感じている。
酪農に関係する全ての人が同じ認識を持って仕事に取り組むことが、未来も同じように良い関係であり続けることにつながるのではないか。私たちのするべき仕事は、過去にも増して、牛を飼い、乳を搾るに収まらない。酪農家である私は、安心、安全な生乳の安定供給を続け、加えて、自らも消費者との距離を縮め、理解を得る活動を地道に継続していく。