第36回の発表者紹介

中澤 好喜さん (北海道)

北海道 中澤 好喜さん (北海道)家族で作る収益性酪農と私の夢 ~汗も涙も喜びに代えて~

・北海道川上郡弟子屈町について
北海道の東部に位置する人口約7500人の町で、摩周湖や屈斜路湖が有名。主な産業は観光と農業で、年間の平均気温は5.4℃と比較的涼しいが、夏は30℃以上、冬はマイナス30℃近くになる日もあり寒暖の差が激しい。 JA摩周湖は正組合員が122戸で、畑作や養豚、養牛など様々な農畜産物を生産。酪農家が89戸で最多。飼養頭数は12,000頭、年間の出荷乳量は55,000トン。高齢化によって農家戸数も出荷乳量も減少傾向だ。

・中澤牧場の歴史
明治35年に初代が入植し、2代目が昭和8年に初めて乳牛エアシャー種を導入。3代目からホルスタイン種を飼養し、昭和55年に父が4代目として就農。専業酪農家として生き残るために規模拡大が必要と考え、昭和63年にフリーストール牛舎を建築した。初期投資が少なく、副業で培った技術や経験、収集していた知識を活かし、知人の助けも借りて町内初の60頭規模の牛舎を自力で建築。我が家では、作れるものは自分たちで作るということが基本。動線にあった設備にすることで効率が上がる。そして更なる経営安定のため、平成4年に増築。平成20年には200頭規模のフリーストール牛舎を建てた。
私は平成18年に農大卒業後、実家に就農。平成21年に結婚し、3人の子供たちの父親として、中澤家5代目として日々奮闘している。現在は、祖母から私の子供までの4世代が生活を共にし、従業員が4名いる。

・施設や管理方法について
牛舎の屋根や壁に断熱材を施工したことで、年間を通して適度な舎内温度を維持でき、光熱費の節約になっている。
搾乳牛は、産褥期と泌乳期ごとに分けた4群で管理。群に合わせて飼料設計したTMRを給与し、産褥牛と分娩間近の牛を同じ牛舎で管理している。地域の風向きに合わせて換気設備を設計したので換気扇は最小限。 搾乳する順番や牛群の配置を工夫することで、牛への負担や疾病や作業時間のロスを最小限に抑えている。搾乳室の黒板で、乳房炎注意牛や治療牛の情報を共有。繁殖管理情報もホワイトボードで共有している。 搾乳、哺乳、牛舎の見回り、育成への餌やり、餌寄せなどの作業を、ローテーションで行っており、全員が全ての作業を把握し、誰でも代わりができる。

・自給飼料について
所有地と借地を合わせて213ha。収量アップのために、雪解け後すぐにスタートして、一週間以内に全圃場の肥料、スラリー散布を完了させる。また2番草の収量確保と翌年の植生維持のため、1番草収穫後も一週間以内にスラリーを散布。収穫は6月中〜下旬。母と妻が交代で自走ハーベスターを運転し、父がタイヤショベルで鎮圧を行うなど、家族と従業員総動員で迅速に行い、3〜4日以内で作業を完了させる。
デントコーンは効率よく施肥と収穫を行えるよう、牧場周辺の畑に作付け。より収量を多くするために、一部は積算温度の高い地区の畑作農家に作付けしてもらっている。畑作農家は大量の堆肥を投入することで地力(ちりょく)を維持し、デントコーンを輪作に組み込むことで畑の排水性も改善される。この耕畜連携により施肥、収穫の効率化と収量を最大化。1番草とデントコーンを通年給与できることで安定した生乳生産につながっている。

・牛舎の火災について
規模拡大で生産も安定してきた平成26年10月、原因不明の火事が発生。牛舎の屋根が焼け落ち、近所の方や農協職員の手も借りて牛たちを外へ誘導したが、ほとんどが火傷を負い数十頭が死んでしまった。幸い怪我人は出ず、パーラーへの被害も最小限だったので3日後には搾乳を再開し、牛舎も自分たちで修繕。牛たちは火傷を負いながらも懸命に乳を出し続け、立派な子牛を産んでくれた。4年経った今も約20頭が現役で頑張ってくれており、牛の生命力に驚かされ、懸命に生きようとする牛たちの姿に勇気づけられた。

・牛群改良のために
火事の影響で平成27年の乳量は大きく落ち込んだが、少しずつ牛群を更新し、綿密な飼養管理を徹底したことで、1年で火事前の生産を取り戻し、翌年はさらに増産できた。頭数と乳量を維持しつつ繁殖成績を向上させ、出荷乳量2400トンを目指している。 繁殖成績向上のために、定期的に検診を実施。対象牛の卵巣と子宮の状態確認と治療、受精後30日と60日の2回、妊鑑を行っている。授精師立会いで更新牛や繁殖計画を検討して情報を共有。検診結果で牛群編成や飼料設計も調整している。2017年1〜12月の発情発見率は63.4%、妊娠率は20.7%だった。今後はそれぞれ75%以上、30%以上を目指す。

・システム化による作業効率向上
両親や従業員の高齢化もあり、長年の勘や経験で調整していたものをシステム化することで誰でも同じレベルで効率的に作業できると考えた。最初に取り組んだのは繁殖管理。牛群管理ソフトと発情発見機を導入し、タブレットとスマートフォンで牛群の状態を一括管理できるようになった。繁殖検診と合わせて活用して繁殖成績をさらに向上させたい。 乳検成績も連動させており、群ごとの乳量や乳成分の変化も把握しタイムリーにTMRの内容を検討。これらを家族や従業員と常に共有できることは大きなメリットだ。

・経営方針を実現するために
我が家の経営方針は、限られた規模の中で利益を最大化し、家族も従業員も自由な時間を確保すること。 自分たちで作れるものは作る。施設や機械を綺麗に使って長持ちさせる。牛の変化にいち早く気づき修正する。休暇を確保するために、作業を専門化せずみんなで情報を共有する。施設の作りや仕事の手順を工夫して作業を効率化する。衛生的な環境を保ち、疾病リスクを抑えて余計な時間を減らす。これらを継続していくことが、安定したゆとりある酪農に繋がると考えている。

・これからの夢と祖父への感謝
弟子屈町では農家戸数が減少している。我が家ができることは、新規就農の受け皿になること。新規就農者に従業員として働いてもらい、将来の第2牧場の場長を任せ、ゆくゆくは酪農経営者として独立してもらい地域の活性化に繋げる。我が家の経営を発展させ、酪農の魅力を発信しながら、新たな地域の担い手と一緒に弟子屈の酪農を盛り上げていくのが私の夢だ。 先月祖父が亡くなった。父は祖父の背中を見て育ち、父の背中を見て育った私は、何の迷いもなく酪農の道を選ぶことができた。子供たちが私の背中を見て酪農家になってくれるように、これからも精進していきたい。それが祖父への感謝の言葉だ。