全農(全国農業協同組合連合会)

牛乳新聞広告シリーズ

2007年から、その時々の牛乳・酪農を取り巻く事象をテーマに展開してきた新聞広告シリーズをご紹介します

画面を下にスクロールすることで、最新の広告から過去の広告へ時代を遡ることができます。

今日もあなたに、一杯のエールを。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。昨年、世の中が大変なことになってもう一年以上が過ぎました。学校が休校し、飲食店も休業し、牛乳が行き場を失いかけたときには、日本中のみなさんの応援に本当に助けられました。ステイホームのなかでも、牛乳を手に取って、飲んでくれたこと。私たちは忘れません。すべてが収まるまでには、まだ時間がかかりそうですが、どうか、お身体を大切に。変わっていく日常のなかでも、変わらないおいしさと安心を。今日も、あなたへ。牛乳には、人を元気にするチカラがあると信じて。酪農家から心を込めて、一杯のエールを贈ります。この国の牧場より

見て、聴いて、触れて。良質な一杯を育む、酪農のスクラム。

清流、木曽川の源流の地。長野県、木祖村。この谷間の美しい村に立つ。木造の牛舎。その中に、若い酪農家に寄り添う、新人獣医の姿があった。乳業メーカーに就職し、2年目。担当する牧場をめぐる日々が続く。その仕事は、治療やお産の手伝い、さらには日々の体調管理まで多岐に渡る。牛の健康は、そのまま生乳の質にも結びつくから。見て、聴いて、触れて。一頭一頭、小さな変化も見逃さぬよう、牛たちと向き合う。そうやって、酪農家が家族のように慈しむ牛の健康をサポートするのだ。隣に立つ酪農家とは、同世代で仕事以外の話もよくする。笑顔で語り合う若いふたりを見て、これから彼女たちが紡ぐ酪農が、今から楽しみに思えた。獣医をはじめ、酪農の現場には酪農家を身近で支える人々がいます。良質な一杯を届けたい。ひとつの思いでつながった人々の手間暇を惜しまない。日々の地道な取り組みこそが、この国の牛乳や乳製品をまもる基礎なのです。今日も食卓を彩る牛乳やヨーグルトは、こうした人々の思いと絆に育まれていること。あなたにも知ってもらえたら、うれしい。

80歳のおばあちゃんになっても、私らしい酪農を追い求めていたい。

雄大な空、広大な緑の大地。北海道、別海町。そこに、ぬくもりある木造の天井が印象的な牛舎がある。その中で、ひたむきに自らの酪農を追求する若い女性酪農家の姿があった。後継者として就農し10年、意を決し昨年、この新たな牛舎を建てた。牧場でともに働く雌牛たちを思い、“彼女たち”が好きな時に食べ、寝て、搾ってもらえる理想の牛舎を実現するために。また、80歳になっても現役で自分らしく酪農を続けられるように。大きな投資になったが、搾乳ロボットや自動給餌器などの導入も決断した。そうして、つくりだした時間も活用し、彼女は地域の女性酪農関係者を繋ぐ新たな試みも行っている。

この景色の奥で、今日も一杯が生まれる。酪農家とそれを支える人々の絆によって。

酪農のある景色。そう聞くと、何を想像しますか。壮観な山並。清らかな河川。澄んだ空気。牛がいて、それを慈しむ酪農家がいる。近隣には、田畑もあって、作物が静かに風に揺れている。人によってイメージは様々かもしれませんが、その景色の奥には、じつは酪農家とそれを支える人々の深い絆があるのです。365日、酪農家が精魂込めて搾った牛乳を、丁寧に牧場から工場へとローリーで運ぶ人々。その生乳を全国各地に安定的に届けられるように、日々、奔走する人々。さらに、酪農家には地域の農家と互いに支えあう営みがあります。牧場から出た稲わらなどは牛のエサになり、再び堆肥に。そうやって、地域の中で互いの資源を循環させ補いあっているのです。人々があたりまえに支えあい、共に生きる。そんなこの国らしい、かけがえのない絆こそが、日本の酪農や食を下支えする基盤だと思うのです。酪農のある風景は、こうした人と人の結びつきに生まれた景色なのかもしれません。今日も変わらない一杯は、そんな絆に守られていること。あなたにも知ってもらえたら、うれしい。

自然のおいしさを引き出すことが、私たちの仕事です。

名峰、岩手山の麓。 一面真っ白な雪の大地。 この時期でも、朝晩は身を切るような寒さが続く。 それでも、山に降った雪はやがて春に解け、清らかな水となり大地を潤し、辺りを一面の緑に変えてくれる。そうして育った牧草は、この地の牛たちのエサともなり、その体を作るのだ。ここで酪農を営む松本さんご一家も、天候の変化や土の状態に細心の注意を払いながら育てた栄養価の高い牧草を牛たちに与えている。さらに自然に近い環境を整えることが、牛たちの健康にもつながるのだと言う。そうやって愛情をかけ、牛たち一頭一頭を慈しむ。「健康な牛からは、いい乳が出るから」とご主人。飲んでくれる人がいるから、がんばれるんです、と笑顔で語ってくれた。 店頭に整然と並ぶ紙パックを見ると忘れがちですが牛乳は、牧場で育まれる自然の飲み物です。 そこには、大自然の恵みとともに酪農家が牛たちにかけた愛情もまた詰まっているのです。 何かを足したり引いたりしない、自然本来のおいしさを、余すことなくあなたに。365日、牧場から食卓へ。 そんな自然の一杯があたりまえに届く毎日を、酪農家とともに、全農も支えていきます。

家族の酪農が育む一杯は、この国の財産だと思う。

栃木県の北部。清流、那珂川の畔。田畑広がる、日本の原風景を残したこの地域には、代々続く酪農家も多い。そのほとんどが、家族経営の酪農家だ。訪れた牧場でも、今年63歳のご主人、後継ぎの息子さん、そしてお手伝いするお孫さんの微笑ましい姿があった。牛舎では、親子で一緒になって、牛たちに気を配る。「若い頃は、ただ夢中で牛と向き合っていたが、今は牛に感謝している」とご主人。ここでは、牛もまた家族なのだ。だから、父も息子も妥協がない。酷暑の夏も、厳寒の冬も、毎日、一頭一頭と向き合う。牛舎の清掃に始まり、 朝夕の搾乳、日々変わる牛の体調を考慮しエサを与える。こうした地道な積み重ねこそが、一杯の品質に繋がっていくからだ。親子で遠慮なく意見もぶつけあう。時には、喧嘩にもなるというが、それは誰よりも互いを信頼している証のように聞こえた。ご主人は、先代の父が酪農を始めた頃の開拓精神を忘れたくない とも語る。毎日、同じ仕事の繰り返しに思えるかもしれないが、日々、家族で牛と向き合い、日々、挑戦していきたい、と。わが国の酪農家の多くは、こうした家族によって営まれています。家族で一丸となり、牛を慈しむ。そんな家族の酪農こそが、新鮮で質の高い日本の牛乳を育んできたのです。しかし、昨今、酪農を巡る情勢は厳しさを増しています。飼料費や資材費の高騰、365日の仕事にも関わらず難しい経営を迫られ、先行き不安からやめてしまう酪農家も少なくないのです。それでも、牛たちを愛し、互いに支えあい、今日も牛舎に立つ酪農を営む家族の姿があります。変わらず新鮮な一杯は、そんな強く優しい家族の絆が守り続けていること。あなたにも、知ってもらいたい。

このヨーグルトは、夢や希望から生まれた。

すべてが変わってしまったあの日から、3年半。福島で酪農、乳業に携わる人々にとっても、闘いの日々でした。抗えない現実と酪農にかける想いとの間で、多くの酪農家が岐路に立たされました。それでも、故郷の福島に残り、愛着あるこの土地で、これからも酪農をして生きていきたい。その想いを胸に、酪農家たちは今日もなお闘っています。県内の乳業メーカーのひとつ東北協同乳業の社員たちもまた、かつてない苦境にみまわれました。それでもやはり、ここ福島に残り、この地で懸命に酪農を続ける人々と共に働き、変わらず新鮮な一杯を届けたい。そんな夢や希望を胸に、社員たち一人ひとりが困難に立ち向かってきました。こうした酪農家や東北協同乳業で働く人々の想いが詰まった新たなヨーグルトが、かつてない産学連携により生まれようとしています。11/19-B1乳酸菌ヨーグルト。東京大学薬学部の関水和久教授が長年の研究により発見した、自然免疫活性の極めて高い11/19-B1乳酸菌。この乳酸菌を使用し、体内の免疫力向上や整腸といった様々な可能性を秘めたヨーグルトです。研究を研究で終わらせず、世のために活かしたい。かねてから、そう願っていた関水教授は、福島に残り、この地で働くことにこだわる人々の熱い想いに共鳴。新たなヨーグルトの共同研究がスタートしました。デリケートな乳酸菌の培養に苦戦しつつも、今夏、ようやく製品化の段階へ。様々な人々の夢や希望、そして想いが、いま、実を結ぼうとしています。このヨーグルトのことを、ひとりでも多くの人に知ってもらいたい。そして、この取り組み自体が、福島の明日の活力となってほしい。全農も、こうした夢や希望を胸にがんばる人々の活動を応援していきます。

2013.9.27 掲載 今日も、こだわりの一杯をリレーする。それは、酪農家たちの誇りです。

搾りたての一杯を、届けたい。その想いは、酪農、乳業に携わる人々の共通の願いです。今朝の一杯も、牧場から、そうした人々の想いにリレーされてきました。蛇口をひねるように、牛乳は生まれません。牧場で丹念に、育まれる飲み物。だから、酪農家は、365日、早朝から牛たちと向き合います。牛舎の清掃、一頭一頭の体調を考えた飼料管理や搾乳。これら毎日の営みによって、ようやく搾りたての乳、生乳は生まれるのです。生乳は、その鮮度を保つため、集乳の度、徹底的に洗浄され清潔に管理された専用のローリーで、素早く、丁寧に、乳業工場へとリレーされます。工場でも、厳重な温度と衛生管理のもと、パック詰めに至るまで、作業は迅速に行われ、店頭へ。生乳は、牛乳となるのです。牧場から店頭まで、これだけの工程を、昼夜を問わず、毎日繰り返す。日本の酪農、乳業に携わる人々の徹底した鮮度へのこだわりが、この国の新鮮な一杯を守ってきました。しかし、昨今、世界的に穀物需給が逼迫。飼料価格が急騰し、酪農経営は厳しさを増しています。それでも、酪農家たちは、搾りたてを届ける使命感を胸に、今日も懸命な努力を続けています。食卓の一杯には、こうした新鮮さにかける熱意、安全や安心へのこだわり、コスト増に立ち向かう姿勢といった見えない価値も詰まっています。その一杯を届けること。それが、酪農家たちの誇りなのです。

2012.9.13 掲載「好きな道に進め」と父は言った。それでも息子は、酪農を選んだ。

この国の食が、岐路に立たされています。昨今の農畜産物の貿易における、国際間での議論。経済効果など数値的損得の話が先行する一方で、何より大切な食の安全への懸念が見落とされています。長年、日本の消費者とともに、この国の農畜産業が世代を越え積み上げてきた食の安全が崩れてしまうかもしれないのです。これまで、日本の生産者たちは、地域に根ざし、親から子へ。より安心できるものを、より品質のよいものを、何世代もかけ、地道に育んできました。子供が口にする牛乳・乳製品を食卓に届けてきた酪農においては、子を思う親たちが求める安心や品質に応えるため、不断の努力を重ねてきました。 徹底した衛生管理など、安全に直結することはもちろん。酷暑の夏も、厳寒の冬も、365日。牛たち一頭一頭と向き合う。 その体調を考え、飼料や牧草の栄養や組成にまで気を配る。いのちを育む姿勢こそが、安心で質の高いものを生む。それは、一杯にかける日本の酪農家としての誇りなのです。しかし、そんな酪農の在り方自体が、貿易における国際間の議論の裏側で、失われようとしています。明日の子供たちにも、作り手が見える牛乳・乳製品を。そのためにも、TPPの議論は、誰かの問題ではなく、あなたの問題でもあることに、気づいてほしいのです。

2012.9.13 掲載「好きな道に進め」と父は言った。それでも息子は、酪農を選んだ。

熊本県、雄大な阿蘇山の麓。約半世紀、三代続く牧場がある。牛舎には、二代目のご夫婦と三代目の息子さんの姿があった。父は息子に、好きな道に進めと言っていた。自分が始めた頃とは、時代も環境もちがう。それでも、息子は父を見ていた。「乳は土から搾れ」と、理想とする酪農に邁進した父の背中を。高校卒業後、息子は決意する。父と同じ、酪農で生きていく。しかし、すぐ壁にあたった。自ら志願した北海道の牧場研修。見てきた酪農と実際にやる酪農には、大差があった。息子は、つい弱音をもらした。だが、父は突き放した。「やめてもいいが、家には帰るな」と。その言葉が、決意を新たにさせたのだ。そうして今、息子は、父と同じ牛舎に立つ。「いつか、父の酪農を超えたい」頼もしい声が聞けた。今、酪農後継者を取り巻く環境は、決してやさしいものではありません。それでも、酪農に希望を見出し挑戦する若者たちがいます。彼らの一歩が、明日のいっぱいを育んでいくのです。今日もなお国産100%※を維持する牛乳。それを守るこの国の酪農が、次代に引き継がれ、日本の一杯がこれからもつづくように。私たち全農も、彼らの挑戦を全力で支えて行きます。それが、この国の生産基盤を守る一歩だと信じて。

2011.8.25 掲載 一杯の絆。

あの震災直後、店頭から牛乳が消えた頃のことを、あなたは覚えていますか。その頃、被災地の酪農関係者たちは、かつてない困難の中にいました。停電、断水、交通網、情報網の寸断。特に停電は深刻で、そもそも搾乳する機器も、乳業工場も稼動できない状態がつづきました。加えて交通網の寸断で、集乳もままならない。そんな危機的な状況下、生乳廃棄という苦渋の決断をせざるをえませんでした。しかし、それでも酪農家たちは搾乳をやめませんでした。それは、毎日搾ってあげないと乳房炎になってしまう牛たちへの愛情。さらには、自分たちの牛乳を心待ちにしている人々への責任感からでした。一方で、一刻も早く集乳と生産の再開ができるよう生乳の流通に携わる人々は、乳業工場の関係者たちと連絡を取り合い、行動を起こしました。小型の発電機を見つけて、酪農家のもとへ融通する。重油が足りず稼動できない工場へ、重油を手配する。さらには、寸断されてしまった集乳ルートの調整。被災していない乳業工場への緊急的な生乳の搬入も行われました。そこには、牧場から食卓へ一杯の牛乳をリレーする人々のプライドと長年培った絆がありました。今ではもう、あたりまえに店頭に並んでいる牛乳。そのあたりまえの一杯は、こうした日本の酪農関係者たちの深い絆によって、今日も守り抜かれているということ。あなたにも知ってもらえたら、うれしい。

2011.2.25 掲載 一杯の牛乳にかける誇りは、厳寒にも、酷暑にも、負けない。

あたりまえに、食卓にあって、あたりまえに、誰もが口にできる。そんな牛乳のある毎日を、今日も、日本の酪農家たちは、守りつづけています。深雪の日も、日照りの日も。24時間、365日。いのちを育む喜びもありますが、決して、楽な仕事ではありません。特に昨年の夏は、暑さに弱い牛たちにとって、厳しいものになりました。そんな中でも、酪農家たちは、送風機による暑熱対策など細心の注意と工夫をこらすことで、生産量を維持する努力をつづけてきました。季節を通じて、安心はもちろん、変わらぬ品質の一杯が、あなたに届く。そのあたりまえは、厳しくもやりがいのあるこの仕事に、酪農家がかけた熱意、そして誇りに支えられているのです。あたながもし、今日の一杯をあたりまえと感じたなら、それは今朝も、日本中の牧場で、酪農家たちが誇りをかけて働いた証なのです。

2010.7.28 掲載 それでも、牛と生きていく。

闘いがはじまったのは、4月。それは、長く厳しいものになりました。わが子のように慈しんだ、牛たちのいのちが失われていく。全国のともに牛と生きる仲間の営みを守るためとはいえ、それはつらい決断でした。それでも、歯をくいしばって、宮崎の、全国の、牛と生きる人々がひとつになって見えない敵、口蹄疫と闘ってきました。さらには、畜産、酪農に関わる人々が、昼夜を問わず懸命に、この闘いを支えてきました。しかし、本当の闘いは、これからです。あの牛舎に再び、牛たちが戻ってくる。あたりまえに牛と生きる日々が帰ってくる。その日まで、そしてその先も、長く厳しい闘いは、つづくのです。それでも、牛と生きていく。その意志が、希望が、決して挫けないように。私たちJAグループは、これからも、全力で支えていきます。

2010.3.21 掲載 氷点下10度、午前4時。酪農家の朝は、いつもと変わらずはじまる。

見渡す限り真っ白な、北の大地。夜明け前。吐く息も白い寒さの中、酪農家の1日は、すでに、はじまっていた。毎朝、3時半には起床し、牛舎の掃除をする。続いて、エサやり。そして、朝の搾乳となる。搾りたての品質を、その日いちばんに乳業工場へ。そうすることで、より新鮮な一杯が家庭に届く。だから、酪農家は、早朝からの作業も厭わないのだ。「牛にエサやるまでは、オレは朝飯くわねえ」酪農家は、笑顔で語ってくれた。365日、牛と向きあい、ともに生きる。かけた愛情は、そのまま、一杯のおいしさにつながっていくから。酪農家は、今日も、早朝から牛舎に立つ。すべては、いつものおいしい一杯を、食卓で心待ちにしている人々へ届けるため。毎日、牧場から届く、あの変わらないおいしさは、こうした変わらない朝から生まれていること。あなたにも知ってもらえたら、うれしい。

2009.3.30 掲載 自然は、自然のままが、いちばん、おいしい。

牛乳を買うときを、想像してください。店頭では、同じように見える牛乳にも、じつは種類があります。ひとつだけ、覚えてください。牧場で搾った生乳を、殺菌し、そのままパックに詰めたのが「成分無調整」の牛乳です。何かを足したり、引いたりしていないその一杯には、牛乳本来の自然のチカラが詰まっています。豊富なミネラルやビタミン類。体中の細胞に必要な、エネルギー。元気な骨をつくる、カルシウム。明日のカラダに必要なものが、無駄なく、含まれているのです。酪農家が365日、手塩にかけ、じっくり育んだ、自然の恵み。その恵みを、そのまま余すことなく、あなたへ。どうか、自然をそのまま、飲んでください。

2009.3.13 掲載 今朝の一杯をお届けするのに、3年かかりました。

牛乳は、工場では生まれません。牧場で育まれる、いのちの飲み物。だから、時間がかかります。今朝飲んだ一杯をつくるのにも、3年の歳月がかかっていたこと。あなたは、ご存知でしょうか。成牛に種付けし、出産。生まれた子牛を、エサや環境に細心の注意を払い、乳が出るまで、手塩にかけてじっくり育てあげる。こうしてようやく、一杯の牛乳が生まれるのです。その期間、およそ3年。酪農家は、そのどの一瞬も、手を抜くことはできません。この間にかけた労力が、品質や安心に直結するからです。豊かな栄養素はもちろん、これだけの手間と愛情の込められた牛乳が、今日もあたりまえに手に取れる価格でお届けできるということ。あなたにも知ってもらえたら、うれしい。そう。牛乳は、丁寧に丁寧に「育まれる」飲み物なのです。

2009.2.26 掲載 冷えていても、牛乳は、あたたかい飲み物だと思う。

百年に一度とも言われる、冷たく、厳しい時代です。そんな、今、だからこそ、カラダだけはいたわってほしい。そこで、提案があります。一日一杯の牛乳を、はじめませんか。牛乳には、毎日に必要な栄養がバランスよく含まれています。体内では作れない、必須アミノ酸。イライラを鎮める、カルシウム。風邪などへの抵抗力を高める、ビタミンA。その他、豊富なミネラルやビタミン類も効率よく吸収することができます。朝の一杯でも、夜の一杯でも。牛乳は、きっと想像以上に、チカラになってくれるはずです。自然の恵みを、自然のまま。日本の酪農家が、24時間365日、情熱を傾け丁寧に育んだ、いのちの飲み物。そう。その一杯は、いつだって、あなたのカラダに、あたたかい。

2008.9.26 掲載 価格を守るのが、先か。酪農を守るのが、先か。

牛乳を飲んで育った。この新聞を手にしている方の多くも、その一人のはず。長年、ほぼ変わることなかった価格に高い栄養価で、子供達を育んできた飲み物、牛乳。その牛乳が、日本の酪農が、今、ギリギリの選択を迫られています。近年、飼料となるトウモロコシや大豆の価格が高騰。さらに、原油高から燃料費なども上昇。急激に膨らむ生産コストに、昨年は、1000戸以上もの酪農家が廃業に追いこまれました。一生を懸ける仕事への情熱と、一日を凌ぐための現実と。その狭間で、今日も懸命な努力を続けている酪農家がいます。生産コストをまかなえる、適正な牛乳価格を実現すること。それは、日本の酪農自体を守ることでもあります。子供達の未来に、酪農家の明日に、希望の光を。全農です。

2007.12.16 掲載 牛乳こそ、相談したいことがある。

冷蔵庫を開ければ、そこにある。あたりまえの飲み物、牛乳。そのあたりまえが、今、揺らいでいます。世界的な原油高から、飼料費や燃料費が高騰。急激に膨らむ生産コストに、酪農家の懸命な努力も追いつかないのです。物価の優等生、そう呼ばれてきた牛乳。飲料としての高い自給率と品質は、日本の酪農が培ってきた誇りでした。ギリギリの努力は、今日もつづいています。酪農家が、これからも、酪農をつづけられるように。食卓に新鮮な牛乳がある、そんな、あたりまえが、つづくように。牛乳の価格について、あなたにも、考えてもらえたらうれしい。牛乳からの相談です。

2007.9.30 掲載 美しい景色、と見るか。食料自給率の高い景色、と見るか。

この景色の奥に、何を想像しますか。澄んだ空気。雄大な自然。壮麗な山並。「あぁ、美しいなあ」と感じる方は多いはず。しかし、この美しい景色がこの国の食糧自給率を支えていると考える方は少ないでしょう。日本の食糧自給率は、実に約40%。そんな中、牛乳は、日本の飲料の中で唯一100%の自給率を維持しています。酪農家が10年まえに比べ約3分の2にまで減少しているなか、この高い自給率を維持し、高品質な牛乳を供給できる環境を整えていかなければならない。そのために、日本の酪農家と全農は、取り組んでいます。さらなる安全のための、徹底した衛生管理。えさや飼育法を工夫し、乳質をさらに高めていく。その上で、安定した乳量も確保していく。すべては、あたりまえの一杯を、あなたにお届けするために。

※1 農林水産省「食料需給表」より。※2 農林水産省「食料需給表」の飲用向け生乳生産量・国内消費仕向量から算出。※3 農林水産省「畜産統計」より。

2007.6.30 掲載 牛乳は、飲み物であるまえに、生き物と考える。

生きた乳と書いて、生乳。牛から搾ったままの乳を、そう呼びます。酪農家が丹精込めて絞った生乳は、保冷機能のついた特殊なタンクローリー(通称ミルクローリー)で牧場から旅立ちます。集送乳と呼ばれるその作業は、乳質管理の最前線。乳温検査、風味検査など、熟練した担当者が検査も同時に行いながら、生乳をタンクに注ぎ、工場へと運ぶのです。まるで、生き物を運ぶように、丁寧に、慎重に。おいしいと安全を、あたりまえに両立する。酪農家が育んだ想いを、あなたへとリレーする。その一歩一歩を、全農は、支えています。

2007.3.31 掲載 いい牛乳は、いい土から、つくる。

こげ茶色した土から、真っ白な牛乳が。ちょっと、想像できませんよね。牛飼いの基本、をご存知でしょうか。乳牛のえさは、牧草。一頭あたり一日に約50キロほど平らげます。その牧草の質により、牛乳の味は決まってしまう。そこで酪農家は、いい牧草の基礎となる、土づくりからはじめます。土を耕し、良質な堆肥を畑に還元する。この繰り返しにより、土は肥沃化し、栄養価の高い牧草ができあがるのです。まるで農家みたい?そういえば酪農家という言葉には、農家が含まれているんですね。今度、牛乳を手にしたとき、思い出してくれるとうれしい。すべては土から。全農です。