第36回の発表者紹介

富澤 裕敏さん

富山県 青沼 光さん (富山県)酪農はじめました。うちの牧場、寄ってきんさい!見にきんさい!

・酪農家を志し、開業するまで
テレビで草原を走り回る牛の姿を見て、酪農家を志し農業高校へ進学。酪農を知るほど、魅力と可能性を感じるようになった。「幅広く農業を学べ。」高校の先生のアドバイスで新潟大学へ進学。酪農家になる大きな壁は資金だけと考え、第三者継承を目指して卒業後は長野県の牧場で後継者候補として働かせてもらった。
酪農の厳しさも経営の難しさもよく知らない私が様々な提案するも、ことごとくボツ。耐えきれず、たった2年で断念。その後新規参入を2度にわたって試みるも、結局自信が持てず挫折。短期間の3度の挫折で、自分の無力さを痛感した。24歳の当時、富山の育成牧場に就職していた大学の友人から研修枠の紹介を受け、富山県で再スタートを切った。そして研修生の身分でありながら職場の先輩と結婚。子供も生まれ、次第に自信も取り戻した。
「暮らすように生きたい。やっぱ酪農家になろう!」。トラクターにも乗れる、家畜人工授精師の妻も背中を押してくれた。富山出身の妻のために、県内での空き牛舎や離農情報を収集。なかなか話が進まなかったが、酪農軒数がたった2軒で生乳は農業産出額の1%にも満たない“酪農絶滅危惧地域”の高岡市に離農される酪農家がいた。得られるのは国の青年等就農資金のみ。早急に実現可能な計画を作成し、資金借入要件である認定新規就農者になって、2015年4月にクローバーファーム開業へとこぎつけた。

・クローバーファームの理念
「HAPPY DAIRY COWS」を理念に、乳牛の幸せを考え、酪農に接している。乳牛は4000年以上前から家畜で野生に帰ることが許されないので、人に必要とされることが乳牛の幸せだと考えている。私たちは、人に必要とされる牧場を作る。人に必要とされる牛乳、牛肉を生産する。そして100年後も酪農が続く仕組みを作る。100年後も酪農が必要とされること。それこそが乳牛の幸せにつながると考えている。

・開業してからの取り組み
借入金の返済のために、つなぎからフリーバーンヘの改修や、機械や設備を他の離農農家より譲り受けるなどして、牛舎の改修費用を軽減。増頭準備ができたが、その矢先に乳牛の市場価格が高騰した。苦肉の策として、長期不受胎により廃用に出される日乳量20キロ程度の牛を購入して再生利用した。学生時代に繁殖で卒論を書いた私は、エネルギーを充足させ肝臓への負担を減らし、カルシウムを充足させると種は止まるはずだと考え、3年間で廃用牛を41頭導入し、不受胎や事故で廃用したのは15頭だった。当然1年間は子牛による収入はないが、これを加味しても初妊牛を導入した場合と比較して、明白に費用の圧縮に繋がった。廃用牛で増頭した牛群であったためその能力が心配されたが、2年後の2017年の冬には、個体あたりの年間成績は富山県平均を上回る成果をあげている。同時に育成と交配種牛の積極的な選択による牛群の改良にも力を入れ、後継牛の遺伝的能力の評価も向上傾向で、実際に育成し分娩した初産牛の能力を見ても初産でありながら牛群を牽引するほどの成果を見せている。
飼料費を地域に循環させるために飼料米や食品残渣の利用を積極的に進めており、経産牛一頭あたりの飼料費を開業当初から370円下げることができた。これは経産牛30頭の場合に年間約400万円の経費削減に匹敵する。地域でまだ多く廃棄されている未活用資源の利用拡大も検討している。

・地域とのつながりと「酪農の文化」作り
放牧風景を見て酪農に憧れを抱いた私にとって、積極的に放牧を取り入れることは非常に大きな意味を持っていた。機械や農薬を使用せずに、乳牛をヤギと混合放牧することで、空き地をイネ科の草種が優先する放牧地へと更新することに成功。さらに、新たに6反の放牧地の整備も進めている。牧場の周辺には民家が多くあり高岡市の中心部にも近く、一般的には畜産を行うには不利だが、ファームインで酪農の魅力を伝える、酪農へ関わる仲間を増やして業界を活性化する、そんな経営がしたいと学生の時から考えていた私にとっては、この都市近郊での酪農経営は好立地だ。
人口17万人の町では様々な事業者との繋がりを持つことができる。牧場の牛乳は、地域のショップとの連携でジェラートやソフトクリーム、パンなどにも加工される。私は生乳の生産に集中しながら地域に酪農があることの魅力を農商工連携で発信し、加工事業者からもアピールポイントが増えると喜ばれている。
この他にも、異業種と連携した多彩なイベントや、就業体験の受け入れや教育機関と連携した酪農教育ファーム活動、行政と連携して行うグリーンツーリズムの受け入れ、分娩兆候のSNS上での発信によるゲリラ的な分娩観察会など、酪農が地域にあるからこそできる取り組みや学びを提供している。このような酪農の存在意義を体感してもらう活動は嬉しい反応が多くある。またそれらを夫婦で積極的に公に発信して、私たち牧場の考えを社会と共有している。こうした取り組みが酪農への理解増進に繋がり、ファンが増える。酪農が絶滅しつつあるこの地域に、再び酪農の文化を創る。これは今後100年先も酪農を続けていくために、最も必要なことだと位置づけている。

・100年後を見据えて
もう一つ実行したいのが、新規参入希望者への独立支援だ。この地で新規参入を行った際の経験を活かしたい。地域にクローバーファームの第2、第3の牧場を作り、育った人材を牛舎長として一任。定期的な経営状況の共有を図りながら、軌道に乗るよう支援する。地域に乳牛を増やし、地域の牛乳供給を守り、酪農を取り巻く業界を守り、自身の経営を守る。地域に酪農家の仲間を増やすことで、飼料の共同生産などの可能性が広がる。
乳牛がいて、酪農があるから、あの日思い描いた通りの、豊かで幸せな暮らしが送れている。人にとっても、乳牛はかけがえのない存在。私たちは乳牛が幸せに暮らせるよう、100年後も酪農が続くよう、挑み続ける。県外移住者でも、非農家出身でも、新規参入者でも、酪農絶滅危惧地域でも、酪農を楽しんでいる!富山県に腰を据えたので、うちの牧場、寄ってかれま!見てかれま!

*青沼さんは大学生時代に、第2回「酪農の夢」コンクールで優秀賞に入選されました。
 受賞作品はこちらから