埼玉の農畜産物

「彩の国黒豚」100年の歴史

埼玉県内で黒豚が飼われ始めたのは100年前まで遡ることが出来る。

大正3年(1914年)に、当時の大里郡花園村(現深谷市)の笠原五郎吉翁が、子安農園(当時神奈川縣橘樹郡旭村)から黒豚(バークシャー種)を購入したのが始まりである。その血統を受け継ぎ戦中・戦後の飼料難の時でも、一度たりとも血統を絶やすことなく、守り続けたのが笠原家である。

その後、国内では昭和30年後半に大型品種であるランドレース・大ヨークシャーの導入、そして昭和40年前半にデュロックの導入がなされ、国内の養豚界は、大型品種による発育の良さと産子数(一度に母豚が生む子豚の数)の多さという経済性の高い大型品種が主流となり、バークシャー種や中ヨークシャー種はほとんど飼育されなくなっていった。

しかし、消費者の皆さんにおいしい黒豚を届けたいという一心で守り育てきた4名が立ちあがり、平成10年に「彩の国黒豚倶楽部」を結成した。生産性は一般豚(ランドレース種・大ヨークシャ種・デュロック種等による三元交雑)より劣るが、バークシャー種の特徴である、肉質の良さ、特に筋繊維が細く、適度な歯ごたえと脂肪の甘さを皆さんに食べていただきたいとこだわりを持ち続けて生産されているのが「彩の国黒豚」である。

現在「彩の国黒豚倶楽部」の笠原常正顧問は笠原五郎吉翁の孫である。

  • 大正11年種豚血統書
  • 大正11年種豚血統書2
  • 種豚血統書裏書
  • 豚繁殖登録簿

笠原五郎吉翁顕彰碑 (大字黒田 笠原伊勢吉宅)

題額 顕彰碑
埼玉県知事 大沢雄一題額
正面 バークシャー種豚改良の父笠原五郎吉翁は明治十八年六月二十三日大里郡花園村に生れ農業に従事して居たが大正三年より種豚を飼育すると共に農業に養豚を取り入れた有畜農業の必要性を提唱亦埼玉県委託種豚所管理者を拝命種豚の改良に努めると共に耕地整理開畑事業に着手食糧増産に貢献為に第二次大戦中の飼料不足を克服し種豚の確保に努め戦後豚の大激減に当り増殖と改良を図り本邦バークシャー種豚生産の基礎を作り国内は勿論遠く諸外国までも輸出する等全生命を種豚改良と農業経営の改善に傾注された大正十三年堆肥増産により埼玉県農会長表彰昭和二十四年産業功労者として埼玉県知事表彰同年養豚功労者として農林大臣及び日本種豚登録協会長表彰昭和二十五年には養豚功労により有栖川宮記念厚生資金選奨高松宮家御沙汰書を拝受し昭和三十年十一月農業人の最高栄誉たる黄緩褒賞授与の光栄に浴したので玆に碑を建立し笠原翁の功績を永く顕彰する
昭和三十一年四月
日本種豚登録協会長  田口 教一撰
深谷市藤沢中学校長  黒田 勇書
しすか家の庭の小草も今朝いまた御代のめくみの露の玉ゆら 五郎吉
裏面 埼玉県畜産課長 大堀喜久男(他四名略)
寄付者(七十四名略)
親族(二十三名略)
発起人 衣袋清作(他十六名略)