MESSAGE

農協牛乳に託した想い

半世紀にわたって、酪農家と消費者を結ぶ懸け橋の役割を果たしてきてた農協牛乳。
その誕生から成長までを見守り続けた人々からの50周年記念メッセージを紹介します。

“よりおいしい農協牛乳”を目指して

北村 雅昭  
全国農業協同組合連合会
酪農部 アドバイザー

 発売当時、私は全国農協牛乳直販㈱の1期生で営業担当者は私ひとりだけという状況でしたが、“成分無調整の農協牛乳は、どの牛乳よりもおいしい”と強く認識していたので、自らスーパーマーケットの店頭に立って、全農直販が提唱する「成分無調整・直販・紙パック」の特徴を訴えました。当時は乳脂肪分を調整した調整乳や加工乳への不信もあり、牛乳の消費も減退していましたが、店頭マーケティングを徹底的に行い、流通サイドの理解を獲得し、店舗に農協牛乳を陳列し、消費者の皆さまから良い反応をいただく。この連鎖が“どこでも誰でも適正な価格で牛乳が買える ”現在の牛乳販売の礎をつくったと、私は自負しています。
 今では「成分無調整・直販・紙パック」は牛乳販売の標準となりましたが、やはり、本当においしいものでないと、消費者から支持を獲得し続けることはできません。現在、私は全農酪農部のアドバイザーとして、協同乳業の販促等に関するコンサルをおこなっていますが、“よりおいしい農協牛乳をつくる”ことに生涯を捧げたいと考えています。そのために、産地との連携による良質な生乳を素材に使うのはもちろんのこと、生乳にダメージを与えずその風味を完全に活かす「おいしさそのまま新殺菌製法」、そして消費者の方々と気持ちを通じ合うことのできる安定した酪農生産基盤の確立といった3つの取り組みを通して、より進化し、よりおいしくなった農協牛乳を、皆さまにお届けしていきたいと思います。

“自然のおいしさ”プラス α の価値に期待

須田 清  
株式会社 東急ストア 取締役相談役

 私は1990 (平成2) 年頃から4年間、チルドドリンクのバイヤー (仕入担当者) でしたから、商品がよく売れて、販売促進への提案力も高い全農直販さんとは深くおつきあいさせていただきました。当時は紙のチラシが一番の販促媒体でしたので当店も農協牛乳のチラシ掲載を定期的に行い、一番売れる場所にコーナーを設けて、総力を挙げて販売していたものです。
 農協牛乳は、とにかくよく売れました。当店が扱っていた牛乳ブランドの中で、最もお客様に支持されていた牛乳です。もっとも、1990年頃は成分無調整はあたりまえになっていましたし、お客様もそんなには意識されていなかったと思います。牛乳は購入頻度が高い商品ですから、“安全・安心”であることは重要です。そういう意味では、地道に“自然のおいしさ”をアピールしていったことと、商品名である“農協牛乳”が日本の酪農にしっかり根付いたイメージがあることから、値ごろ感とともに強い支持につながったのではないかと思います。
 ただし、現在ではほかの牛乳ブランドも成分無調整で、そのメーカー独自の“自然のおいしさ”をアピールしているわけですよ。その中で、農協牛乳は他のメーカーにできないことで何ができるのかということをしっかり考えて、それをお客様にしっかり伝えていってほしいと思います。全農さんが打ち出す“自然のおいしさ”プラスアルファの価値に、大いに期待しています。

全農と系統乳業との絆を象徴するシンボル

小堀 洋二  
協同乳業OB

 協同乳業が農協牛乳の受託生産を開始した1972 (昭和47)年当時、私は大阪工場 紙容器ラインの班長でした。その後農協牛乳の販売が伸長し大阪工場でも受託生産を開始しました。当時の社員は皆、系統会社とはいえ独立した乳業メーカーである協同乳業の「名糖(当時の表記)ブランド」に誇りを持っていましたから、「農協牛乳」の受託生産には複雑な想いがあったと思います。そうした想いとは逆に、数年後には農協牛乳の出荷量が名糖ブランドを上回るようになり、大阪工場にて係長、課長、工場長と次第に重い責任を担う立場になっていった私にとって、農協牛乳は工場の稼働に貢献するありがたい存在であるとともに、大切な馴染みの深いブランドになりました。
 現役を退いて何年も経ちますが、2021年5月に協同乳業 東海工場を訪ねた際に、同工場の設計時には予定されていなかった紙パックラインに農協牛乳が整然と流れているところを見て非常に懐かしい思いを抱きました。その際に、現在では協同乳業が関東・東海・関西地域での販売許諾を受け、「おいしさそのまま新殺菌製法」を開発した上で自社商品として主体性を以て製造・販売していることを知り、50年の歳月を経た農協牛乳のあるべき居場所が協同乳業であったことに非常に深い感慨を覚えました。
 「農協牛乳」は、協同乳業が今後も全農及び系統乳業との良好な関係を維持しつつ、主体性のあるユニークな企業として末永く発展し続けるシンボルであってほしいと願っています。

自然のおいしさは、乳牛に寄り添う酪農から

伊藤 靖彦    
JA愛知東 酪農部会 部会長

 私たちの部会の生乳が農協牛乳の原料に使用されて、とても光栄なことだと感じるとともに、これは今まで以上にきちんとしたものを出荷せないかんなと身が引き締まる想いがしました。
 三河は雪が降るのが年に1回あるかないかくらいの温暖な気候なのですが、夏は暑く、牛舎にネットを張って害虫が入らないようにするなどの暑熱対策が求められます。乳牛は言葉を発することができないので、私たち酪農家がエサをきちんと食べているかとか、糞の色や柔らかさが変わってないかなどをしっかりと見てあげて、乳牛がストレスを感じない快適な環境を作ってあげることが大切です。乳牛にストレスがかかると、生乳の成分にも悪い影響が出ますし、そもそも乳が出なくなってしまいます。人間が毎日同じ時間に同じケアをコツコツと繰り返していくことは、生き物を飼う上での基本となります。
 我が牧場は、私たち夫婦と息子と祖母の家族労働で営む、乳牛35頭規模の小規模酪農家ですが、この規模でしたら1頭1頭に家族のように寄り添う細やかなケアが実現でき、ストレスのない健康な乳牛を育てることができます。乳牛から搾られる生乳は生き物なので味も成分も季節によって変わりますが、安全・安心でおいしく、ヒトの健康に大変役立つ飲み物です。消費者の皆さまには、私たちの愛と情熱が注ぎ込まれた農協牛乳を、たっぷりと味わっていただけたらと思います。

酪農家人生50年、農協牛乳も50年

関 紀道・とく江
関牧場

 農協牛乳発売50周年を心よりお慶び申し上げます。私が関牧場を正式に継いだのが19歳の時ですから、私も農協牛乳と同じ歳月を酪農家として歩んできたことになります。
 北軽井沢の酪農家の娘だった妻を迎えたのが24歳。当初は搾乳牛が13頭。以来、生まれてくる子牛を大切に育て、牛舎を近代化し、自家産の飼料を耕作するための農機具を少しずつ増やし、最近になってようやく娘に牧場の経営を引き継ぐところまで歩むことができました。それでもわれわれのような家族酪農家は一家総出で働きますから、現在でも私は専ら自給飼料の牧草やトウモロコシの農作業を任され、妻は乳牛の生活リズムを壊さないように毎日牛の生活に合わせた世話と家族の健康を守る家事とを両立するのに大わらわです。
 標高850mの高原に位置する吾妻は気候が涼しく、ほとんどの水源が自然の湧き水となりますから、牛にとっては過ごしやすい環境です。さらに関牧場では育成牛の足腰を強くするために放牧をし、肥沃な台地に生い茂る牧草をおなかいっぱい食べるので、自然の恵みをたっぷりと栄養分として採り込んだ健康な乳牛が育つわけです。
 農協牛乳は、代々受け継いできたこの土地が与えてくれる豊かな自然の滋養、そして乳牛に対する愛情をたっぷりと注ぎ込んだ牛乳です。ぜひ、消費者の方々も末永くご愛飲いただければと思います。