TRIVIA

農協牛乳の雑学ゼミナール

農協牛乳には、発売から半世紀の歴史の中に埋もれたトリビア(雑学)がいくつもあります。
“知らなくてもいいが、知ればもっと農協牛乳がおいしくなる”隠れたトピックスを紹介します。

農協牛乳は、日本初コンビニ・チェーンの目玉商品だった!? 

日本初のコンビニエンスストアは、1974 (昭和49) 年5月にオープンしたセブン・イレブン豊洲店であることはよく知られていますが、それに先駆ける1972年に生鮮食品をメインで取り扱う巨大コンビニエンスストア・チェーンの大量出店が構想されていたことはあまり知られていません。農協牛乳は、そこで取り扱う目玉商品として企画された牛乳でした。

これは、1972年3月の全農 (全国農業協同組合連合会)設立に向け、合併の目玉となる事業を興すとして、農協牛乳の開発準備委員会で、当時の重鎮・山口巌氏 (後の全国農協牛乳直販株式会社 代表取締役) が提案したビジネスモデル。
米、野菜、卵、牛乳などの生鮮食品を、全国の農協や関連メーカーで生産し、“農協”ブランドとして販売する。販売店舗は、当時米国で主流化していたコンビニエンスストアを東京に500店舗、大阪に300店舗、名古屋に200店舗新規出店し、生鮮食品の流通を一手に引き受けるといった壮大な計画です。

残念ながら開発準備委員会での合意が得られず、時代に先駆けた生鮮コンビニチェーン構想は幻に終わりますが、酪農家が生乳を搾り、協同乳業が殺菌・充填を行い、全農直販が販売する“農協牛乳”の商品化が実現。日本の生鮮市場の一角を、大きく変えていくことになります。

「農協牛乳」の商品名は、消費者が決定した!? 

全農の設立を象徴する牛乳を発売するにあたって関係者の頭を一番悩ましたのは、商品のネーミングです。山口巌 全国農協牛乳直販株式会社 代表取締役の構想に則れば、“農協”ブランドの牛乳ですから“農協牛乳”は必然となりますが、そんな漠然とした没個性な商品名で、牛乳の代名詞のように扱われている大手乳業メーカーの牛乳に対抗することができるのか、大いに頭を悩ますところとなりました。

結果、最初に採用された商品名が、全農系列流通店舗の名をとって「Aコープ牛乳」。
これは、牛乳の公正競争規約のグレードA表示を連想させるため、採用不可となりました。
次に検討された商品名が、全農が責任をもって製造・販売する決意を示す「全農牛乳」。しかし、設立されたばかりの「全農」では知名度が不足し、店頭での訴求力がありません。

決め手になったのは、意見聴取会を訪れた、ある消費者の一言でした。
「“農協”といえば、誰でも一所懸命働いている農家の人を連想するし、農協の農産物は正直そのままの品質だと感じています。消費者は案外鋭いんですよ」
この一言で商品名は「農協牛乳」に統一され、この言葉通りに多くの人々から“素朴で誠実な牛乳”として愛され続けることになりました。「農協牛乳」は、消費者と確かな信頼の絆で結ばれていることを示す、誇りある商品名です。

業界の異端児が、牛乳の常識を塗り替えた!? 

農協牛乳は、乳脂肪分を調整した牛乳を宅配していた時代に、「成分無調整・直販・紙パック」の「3つの革命」を掲げて牛乳市場に新規参入します。当然のこととして、既存の乳業メーカーからは異端児扱いされていました。

中でも“成分無調整”への反発は、強いものがありました。牛乳の品質を一定にするためには乳牛の生育環境によって変化する生乳脂肪分の調整が必要とされ、当時の厚生省令でも「脂肪分含有量が3.0%あれば牛乳として販売できる」と定められていたからです。むしろ、調整した余分な脂肪分を「濃厚牛乳」やアイスクリームなどの高付加価値商品に還元していくことが各乳業メーカーの製造技術の見せどころとされ、“自然は、自然のままが、いちばん、おいしい”とする農協牛乳の商品哲学とは、真っ向から対立します。

結局、消費者が判定を下すかたちで“成分無調整”が牛乳の標準品質となり、それまで中流以上の飲み物とされていた牛乳を誰もが手に取れる商品として普及させることができました。
日本中の酪農組合と連携する業界の異端児は、既存乳業メーカーのサプライチェーンを損なわない「成分無調整・直販・紙パック」の手法で牛乳の消費量を拡大し、その宣言通りに牛乳市場に革命を成立させたことになります。

新発売直後に、販売中止の危機に直面した!?

1972 (昭和47) 年6月1日に発売された農協牛乳は、成分無調整を掲げた自然志向とスーパーマーケットの店頭で手軽に買える販売政策から爆発的な売れ行きを示し、発売2年目のはじめには3ヵ年の販売目標120万本を達成。相次ぐ増量出荷の要請に商品の生産が追いつかず、新発売早々にして販売一時中断の危機に直面します。

販売を担当する全国農協牛乳直販株式会社では、産地からの生乳集荷取扱量を段階的に増強するとともに、発売時から製造加工を委託する神奈川県津久井郡農協の牛乳工場に加えて栃木県酪農協同組合との提携を進め、協同乳業の千葉工場も動員して急激な増産要請に対応していきました。

農協牛乳は、生ものの生乳を無調整で扱うために、供給される原料と商品の需要を調整する努力が求められます。需要が増える夏場には大量の生乳を集める必要がありますし、不需要期には逆に余乳処理の方策を考えなければなりません。牛乳の需給調整には、原料生産と加工処理、営業販売が機動的に連携できる組織体系が必要となります。
全農は、農協牛乳の需要拡大に応じて対応可能な供給体制を整備し、1978 (昭和53) 年には現在の全農酪農部を主管とする全国的な生乳集荷体制・広域流通体制を構築しています。

レモン果汁の殺菌製法を牛乳に応用した!? 

生乳本来のすっきりした味わいを引き出す「おいしさそのまま新殺菌製法」は、同じ食卓の定番とはいえ牛乳とはまったく成分の異なる「ポッカレモン100」の製造に使われている「交流高電界殺菌技術」を応用したものです。

「交流高電界殺菌技術」は、食品中に電流が流れると電気的な殺菌作用が生じる効果を利用して、食品中に存在する微生物を迅速かつ効率的に熱処理する殺菌技術です。「ポッカレモン100」を製造・販売するポッカサッポロフード&ビバレッジ株式会社が、熱に弱いレモンの色・香りの劣化や栄養分の減少を抑えながら安全に殺菌処理するために開発しました。

全農と協同乳業は2014(平成26)年に、「交流高電界殺菌技術」を活用して農協牛乳の新しいおいしさを引き出すことを決意。ポッカサッポロフード&ビバレッジ株式会社と共同開発契約を結び、まったく性質の異なる牛乳への応用実験を開始します。今までにない殺菌ファクターの検証、実用化に必要な要件抽出などの試練を乗り越えて、2016(平成28)年に牛乳本来のすっきりした味わいを引き出す業界初の「おいしさそのまま新殺菌製法」として完成させました。牛乳のおいしさの3大要素 (コク、キレ、後味) において、まったく新しいおいしさを実現した農協牛乳をお届けしています。

日本人の耳にも、農協牛乳はしっかり浸透していた!? 

自然のままのおいしさで日本人の喉を潤してきた農協牛乳ですが、心地よい調べで人々の心まで満たしてきたことは、あまり知られていません。

1997年10月から2001年9月にかけてABCラジオ(朝日放送)で平日夕方に放送された情報番組 『中原秀一郎のラジオTODAY』にて、全農は「農協牛乳・心の詩」のコーナーをスポンサードしています。
初代パーソナリティに松島トモ子さん、二代目パーソナリティに渡辺徹さんを迎え、“心に残る”をキーワードに人々に感動を与える音楽やエピソード、リスナーからの投書を紹介するコーナーは、四季折々の自然の中で暮す日本人の胸を満たし、耳に優しく後味の良いひとときとして親しまれました。

それでは、日本人の耳に一番残った名曲はというと、意外なことに洋楽アーティスト Prince の『Batdance』となります。クライマックスの歌詞が、まるで「農協牛乳!」と絶叫しているように聞こえることが、テレビ朝日系列の人気深夜バラエティ『タモリ倶楽部』 の名物コーナー「空耳アワー」で紹介され、大きな話題になりました。
この投稿作品は、その年の最優秀作品を選ぶ「空耳アワード」でも1993年のグランプリを受賞し、日本人の心に農協牛乳が浸透していることを見事に証明した一曲となりました。

農協牛乳は、全国統一の牛乳ではなかった!?

農協牛乳は、日本全国どこでも同じ牛乳が提供されているわけではありません。
どの地域で手に入れるかによって、微妙に味わいやパッケージのデザインが違ってきます。

これは、全農が農協牛乳の商標権を所有し、全農が許諾した関係乳業会社が各地域の生産者団体から生乳を仕入れ、自社で加工製造や販売活動を行うため。たとえば、「おいしさそのまま新殺菌製法」によるすっきりとした味わいの農協牛乳は、協同乳業が販売許諾された関東・甲信越・東海・関西地域で味わうことができ、四国地方では緑色のパッケージの農協牛乳が楽しめるなど、販売地域ごとにバラエティ豊かなおいしさを味わうことができるのです。

変わらないのは、その地域の酪農家が愛情をもって育てた乳牛から良質な生乳を搾り、自然のままのおいしさをそのままにお届けしていること。
各地域が自信を持って勧める“自然のままのおいしさ”を、心ゆくまで味わってみてください。